前回の大野 丈助の墓地と屋敷訪問に続き、

 

屋敷から車で30数分離れた釈迦谷の生家を訪ねました。

 

 

 

 

 

釈迦谷分校の跡地で車を停めました。

 

 

 

少し離れて神社があります。

 

この辺りは昔は集落の中心地だったのかもしれません。

 

 

 

分校の跡地と神社の間に

 

大野丈助の業績を刻む碑があります。

 

丈助は1848年この地に生まれ、

 

12歳の時に三上忠左衛門に測量技術を学びました。

 

明治22年千葉県最初の鉄道建設、千葉ー稲毛の敷設工事、

 

続いて蘇我ー大網を引き受け、土気のトンネルの難工事も

 

丈助の実地測量で大成功を収めて完成させ、

 

更に大網ー大原間を開通させました。

 

これが現在のJR外房線です。

 

丈助はこの他に三門に房総白土商会を設立し、

 

白土を採掘して研磨剤やクレンザーを生産しました。

 

 

 

 

大野丈助の碑の前には田圃が広がり、

 

その向こうに見える大屋根の家屋が生家です。

 

 

 

近づいて廻りを眺めると一面田圃です。

 

 

 

振り向いてみても一面田圃です。

 

幸いにも大野家の下の家に住む方が外におられたので

 

言葉を交わしました。

 

この地に生まれ育ち昔のことを知っておられ、

 

ここは生家では無く生家は「あちら」だと

 

田圃の向こうの道路沿いの家を指差しました。

 

これは最大の収獲でした。

 

 

 

 

近づいて見ると大邸宅ですが今は住む人も無く、

 

庭は枯れススキに覆われています。

 

下の家の住人は小さな頃は

 

この庭で良く遊んだものだと懐かしんでいました。

 

 

 

 

母屋の奥に納屋が見えます。

 

 

 

母屋の玄関は屋根のある立派なものです。

 

 

 

母屋を離れて教えられた生家に向いました。

 

分校までは歩いて数分の所です。

 

 

 

丈助は何時の頃か分かりませんが、

 

やがてここを離れて大屋根の家に移り住み、

 

更に日在の屋敷に住むことになりました。

 

この生家は今は廃屋です。