源頼朝伝説2回と平広常伝承を投稿して来ましたが、

 

歴史的関心から近くの大野家の墓地と屋敷を

 

久し振りに訪ねてみました。

 

この地に移り住んで早くも14年目を迎えますが、

 

当初、近くに住む妻の大学時代の先輩と

 

郷土史家S氏に案内されて来たのが大野家のお墓でした。

 

とてつもない巨大な墓碑に驚きましたが、

 

説明を聞く内に大野丈助の偉大さにも心惹かれました。

 

 

 

 

 

 

ここは集落の墓地ですが普通の墓碑に対して対して、

 

どれほど際立っているのかが分かります。

 

 

 

興味深かったのは旧い大野家の墓碑に並んで

 

十字架の墓碑が在ることでした。

 

墓碑の字は読み取れませんが、

 

子息のイギリス人の妻の墓碑との事でした。

 

 

 

墓地の向い隣りに大野家の屋敷がありますが、

 

頑丈な壁塀に囲まれていました。

 

 

 

壁塀は一部破損していましたが、

 

これを見るとレンガを積み上げ

 

その上からモルタルを塗っていることが分かります。

 

 

 

塀沿いに進むと門があり家屋が見えますが、

 

この門は通用門のようです。

 

家屋は使用人の住まいのように思われます。

 

 

 

南に向って進み角を曲がると、

 

塀は東に何処までも長く続いています。

 

100メートル前後はあるのでは無いでしょうか。

 

 

 

暫く進むと大きな門がありました。これが正門でしょう。

 

 

 

正門から更に進んで角を曲がると、

 

その先にも壁塀が延々と続いています。

 

この先に行くのは止めました。

 

この塀に囲まれた敷地は一体どれ程あるのでしょうか。

 

恐らくいすみ市で一番大きな屋敷ではないかと思います。

 

この屋敷は日活が保養所として買い取ったと聞いています。

 

 

 

邸内には洋館が建っています。

 

丈助のご子息はイギリスに行き、柔道の指導をしていたそうで、

 

やがてイギリス人と結ばれました。

 

帰国した時の住まいとして

 

この洋館が建てられたとのことでした。

 

墓地に十字架の墓碑がありましたが、

 

そのお墓はイギリス人妻のものと思われます。

 

その後、丈助の生家を訪ねましたので、

 

次回は丈助の業績に触れたいと思います。

 

:大野丈助は現在のJR外房線の前身

 

房総鉄道の創始者でした。