昼食を終えて次に向ったのは浦上天主堂と、
日本26聖人記念レリーフに聖フィリッポ教会でした。

ここには浦上天主堂の経緯として、旧天主堂は1945年原爆により
倒壊するも、翌1946年には苦難の中信徒の手で、
木造の仮聖堂が建設され、1959年に鉄筋コンクリート造の
聖堂が再建されたと記されています。

再建された聖堂は鉄筋コンクリート造でしたが、
その後レインタイルで改装され、往時の姿に復元されています。

原爆により指が欠け、憂いをたたえて佇む「悲しみのマリア像」と、
「旅」殉教への門出の碑が聖堂の正面にあります。

原爆により建物は崩壊しましたが、祭壇にあった
木製のマリア像の頭部が瓦礫の中から発見され、
「被爆マリア像」と呼ばれて、天主堂脇の小聖堂に
安置されています。内部は撮影禁止でした。

原爆の熱風で首が吹き飛んだり、傷んだ聖人像などが、
原爆の悲惨さを訴えています。

キリスト教の伝来以降、織田信長は宣教師がもたらす西洋文化を
積極的に取リ入れましたが、豊臣秀吉は増え続けるキリスト教に
警戒心を抱くようになり、1587年にバテレン追放令を発布し、
1597年に京都と大阪で、宣教師や信徒24人を捕えて
耳たぶを切り落とし、途中で加わった信徒2名を加え総勢26名を、
長崎の町と海を見晴らす西坂の丘で、
十字架に縛り付け槍で刺し殺しました。
26人はローマ教皇により1862年に、信仰と徳が特別に
秀でていると評価され、「聖人」の列に加えられました。
この碑の後ろに記念館があり磔刑の絵画等が展示されています。

ガウディ風の双塔が印象的な聖フィリッポ教会は、
26聖人に捧げられた教会で、アントニオ・ガウディを
日本に紹介した今井兼次氏の設計です。
26聖人の記念レリーフは左手にあります。




長崎は神戸と同じく平地は少なく、山手に向って住宅地が
広がっています。この日泊まったのはその山の上の「梅松鶴」でした。


部屋からの眺めですが、長崎の夜景は日本三大夜景の
一つに数えられているとのことでした。映像がぶれてしまいました。








なかなか手の込んだ美味しいお料理で、満腹しました。