2008年8月7日にブログを始めて今日で投稿1.500回を数えることになりました。
 
    我ながら良く続いたものだと感心していますが、これも皆様のお支えが
 
            あったからだと受け止めて、感謝しています。
 
    ところで去る26日テレビ東京でドラマスペシャル たった一度の約束~
 
 時代に封印された日本人「100年の時を超えて続く物語”自由と希望への約束”に
 
   命を捧げたある夫婦の生涯・・・革命家孫文に託した夢」が放映されました。
 
    この夫婦とは梅屋 庄吉、トク夫妻です。梅屋 庄吉は以前にもブログで
 
    紹介したことがありますが、日中、日韓刊関係がギクシャクしている中で、
 
  日中関係で梅屋 庄吉のような人物がいたと言う歴史認識は大切なことと思い、
 
       このドラマを機に1.500回記念として再度アップしました。
 
          房総の片田舎にも歴史に残る人物がいます。
 
 その一人が梅屋 庄吉(1868-1934)です。梅屋は長崎の貿易商の跡継ぎとして
 
     生まれましたが、成人すると香港に活動の場を移し写真館を経営、
 
    後に北京で活動写真を運営し、莫大な資産を築き、その殆どをもって
 
           辛亥革命(1905-1925)の成就を支援します。
 
     孫文との出会いは香港に始まりますが、梅屋は自らの体験もあって
 
   孫文の革命思想に共鳴し、「君は兵を挙げよ。我は財をもって援助す。」と
 
             告げて義兄弟の盟約を交わしました。
 
     梅屋は日本に亡命中の孫文と宋 慶齢との結婚式を東京の自宅で
 
     妻トクと共に仲人になって挙行したり、亡命中の孫文、蒋介石を初め
 
 その志士達に憩いの場を提供するため、大正10年(1921)房総の地三門海岸に
 
   別荘(敷地15.000坪)を建てて招くと共に、晩年の大半をこの地で過ごしました。
 
 
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           孫 文                梅屋 庄吉、トク夫妻
 
 
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       孫文と梅屋夫妻                  その銅像
 
 
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  「同仁」は梅屋が孫文と出会った際、孫文が手帳に書き記して手渡した言葉で、
 
   「分け隔てなく、広く、公平に扱う」と言う意味です。梅屋はこれに深く共感し、
 
           以降、孫文の支持者・支援者となります。
 
     写真右は梅屋の自宅で挙行された孫文と宋 慶齢の結婚式です。
 
 
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         梅屋は日本活動写真株式会社(日活)を創設しました。
 
 
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         梅屋は「日本南極探検」の記録映画を製作しています。
 
 
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     最後のシーンですが秘書の佐々木が、何故、全財産を尽くしてまで
 
 支援したのかを問い質します。梅屋は中国人が虐げられた暮らしをしていること、
 
    乗船した船でコレラに感染した中国人が、無造作に袋に詰められ海に
 
     放り投げられたことを見て、孫文の革命を支えて来たことを語ります。
 
      ドラマでは病気で亡くなったで終りますが、実は昭和9年11月15日
 
  廣田 弘毅外務大臣の要請を受け、日中問題打開で蒋介石と会談するため、
 
   療養中の三門の別荘から三門駅に向い、列車を待つ間にホームで昏倒し、
 
             7日後に息を引き取られたました。
 
 
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     梅屋別荘跡地には記念碑が建てられ、その業績が刻まれています。
 
 
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       別荘は海岸からの高台にあり、眼下には潟と松林が広がり、
 
     その先が海岸になっています。今、跡地は分譲地になっていますが、
 
           開発した地元の建設会社が記念碑を建てました。