先日、房総綺譚・「大原の海中桜」江見 水蔭作、浅野 豊校訂なる本を
 
        戴きました。今、各地で桜がチラホラ咲き始めていますが、
 
    海中に咲く桜に驚きを覚えました。今は「海中桜碑」が残るのみですが、
 
 古老のお一人は「小さな頃には桜が咲いているのを見た」と語っておられました。
 
 
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     この本は小浜城にまつわる青年武士と里の娘の悲しい恋物語を
 
       描いたものですが、その終りのところでこう書かれています。
 
       「小浜の海中には、今も桜の澪標(みおつくし)が立ててある。
 
   そして、春が来ると、不思議にもその海中の桜に花が咲くということである。
 
   ところが、船の出入りの目じるしの澪標に、なぜ桜の木を用いるのか、また、
 
  どうしてその木に花が咲くのか、今の小浜の人びとはなにも知らない」(66頁)。
 
        
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  手元の「長生・夷隅の歴史」を開いてみたところ、「海上で三年以上開花したという
 
  山桜の不思議」 と題して述べられていましたので、その一部をご紹介致します。
 
    海中桜は現在の大原漁港内で、旧夷隅郡小浜村横浦海岸・下浦海岸に
 
      立てられたもので、その起源は江戸時代で大正末期まで続いていた。
 
       海中桜は立てた年は満開になるが、3年以上に渉って花を咲かせ、
 
            3年目には二分咲き程度に減ったとのことである。
 
     当時の漁民は海とその背後に広がる里山とを結びつけるシンボルとして
 
 山桜を立てることを考え、1日2回起こる干潮により海水と淡水(自噴する地下水)に
 
   さらされることで、幹の腐食防止と吸水の両方が可能になることを直感して、
 
           このような洒落た風習を作り上げたようである。