人生の中で26年間と一番長く住み、4人の子ども達が生まれ育った住まいが取り壊されることになり、その前に
ひと目と思い出掛けました。計画停電で電車は動かず予定が1週間伸びましたが、先週18日に漸くお昼に1本出
ることになった電車で千葉に出ることが出来ました。

第一日目、駅前のホテルからの夜景です。この地を離れて23年経ちましたが、当時は駅前にはホテルも無けれ
ば夜は闇の世界でした。当時は人口は10万人位だったと思いますが、今は26万人とのことです。

第二日目は知友の車で今は高齢となり静養の身となった、5人の方達のお見舞いに自宅をお訪ねしました。この
日は土曜日でもあったので会社もお休みで、当時は若かりし若者だった子ども達にも再会することが出来まし
た。中には「もう少しで定年です」と語っていました。夜は12人の親しき友たちが集まり、時の経つのを忘れて歓
談し、5時半からの集りが終ってみたら9時でした。


第三日目はJRの駅から前の住まいまで散歩がてら街並みを眺めながら歩きました。駅前から昔のメインストリ
ートの西側の道路が拡張され、今ではこちらがメインストリートとなりマンションが立ち並んでいます。

駅から10分程で市役所に着きますが、人口増加に伴ってでしょうか
庁舎は大きく増築されていました。

市役所から5分程で阪急電車の駅に
着きますが、こちらも高架になって
います。

昔の住まいまではゆっくり歩いてここから15分位ですが、
高架をくぐるとその先には駅からの利便性もあって、
高層マンションの他スーパーや飲食店が立ち並んで
います。この辺りは昔は田圃があったりして、少しずつ
宅地開発が進んでいた所です。

昔、子ども達が寝静まったのを見計らって
家を抜け出し、夫婦二人で行ったお寿司屋
です。当時は平屋の小さなお店でしたが、
今は鉄筋建てになっていました。


一つにはこれを撮るのが目的でしたが柱の傷です。誰のか良く分りませんが子ども達が見たら分るでしょう。
右側は備え付けの洋服ダンスの引き出しです。上は「け」、下は「せ」と書かれていますが、これは男の子達の
頭文字です。

この部屋は当時わたしが書斎として使っていましたが、
今は応接室として使われているようてす。もう二度と
見ることの無い建物を後に帰路に着きました。