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いーかのブログ

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初めての海外旅行の準備はパスポート、鞄、トラベラーズチェックなどいろいろ大変だったけど新たに知ることもいっぱいあってそれはそれで楽しかった。

ギターも持っていったのでかなりの荷物でした。
航空チケットはいきなり一年間行くつもりだったので、一年オープンチケット(一年以内に帰ればよい)エコノミーで往復26万円。今に比べると高いけどその時は安い方だった。
飛行機に乗るなんて初めてで出発の前日はハラハラドキドキでしたが以外と普通に寝れました。(基本いつも眠い)
一人住まいの母親を残していよいよスペインへ出発。
航空会社は大韓航空。パイロットは軍人上がりで操縦は上手いという噂を聞いて無理に安心と自分に言い聞かせていました。
離陸の時の加速、シートに押さえつけられる重力感がたまらなく気持ちええな~~。それに比べ着陸時の衝撃と逆噴射の轟音は恐怖ですね。

ソウルに到着。
次のパリ行き便まで待ち時間が5時間あるので市内観光。12月のソウルは底冷えがして寒かったです。焼肉の食事付き市内観光は結構楽しかったです。

アンカレッジ経由の北回り便。アンカレッジの売店は日本人のおばちゃんがいて、うどん屋もあってなんか嬉しかったな~。飛行機の給油と点検に時間がかかって2時間遅れ。
ちょっと待って~な!この調子やったらパリからのマドリー行きの便に間に合わないやんか?と不安を抱きながらパリへ。到着後トランジットでマドリーへ。案の定カウンターから走った走った、それに乗りたーい!空港のお姉さんも一緒に走ってくれした。が、ギリギリでアウト。チーン。
同じようなお客さんがあと二人。聞いたらエルサルバドルの男性二人連れ。
空港のスペイン語担当のフランス人お姉さんと四人で食事とお茶。まだ使ったことない覚えたてのスペイン語でなんとなくコミュニケーション。なかなか楽しいひと時でした。

その後帰国後の日本にこのうちの一人から手紙が届きました。お元気ですか?みたいな。
あれは感動的でした。

続く



iPhoneからの投稿


長谷川きよしの別れのサンバがヒットしたのが1969年僕が中学の2~3年生の頃。テレビの歌番組でよく見ました。
ギターはまだ始めてなかったけどこんな弾き語りやりたいな~と思っていました。

長谷川きよし

東京教育大学附属盲学校(現・筑波大学附属視覚特別支援学校)卒業。

緑内障のため2歳半で失明し、全盲となる。高校三年生のときシャンソン・コンクールに4位入賞。1969年、「別れのサンバ」でデビュー。発売直後はあまり反響のなかった曲ではあったが、深夜放送で流れるようになると、フォーク世代の若者から支持され、大ヒットとなった。

巧みなギター演奏と、透明度の高い声によるバラードで人気を博す。1983年の参議院議員選挙では、無党派市民連合公認で、比例区から立候補するが落選している。最初の妻は津島玲の名で作詞を手がけていた。

新しいギターを買ったからには思いっきり練習しました。
学校から帰ったら夜まで練習しました。
日曜日は7~8時間。
どうしても弾きたい曲がありました。サビカスのbuleriasです。とても難曲でした。
その曲をコピーするために友達にテープレコーダーを借りて、速度を半分に落してコピーしたものです。

速度を落とすと音程も下がるので弦をゆるめて聴き取りにくい音を何度も聴いてコピーしました。未だに弾けませんが、、、

当時テレビで長門裕之さんが司会のミュージックフェアという番組があってそれに出演したバーデン・パウエルのトリステーザ。
たまたま録音していたのでこれも同じくコピーしました。超難曲です。これも未だに弾けません。

あの頃のテレビはいろんな素晴らしいミュージシャンが出演した番組がたくさんありました。トム・ジョーンズ・ショー、エンゲルベルト・フンパーディンク・ショー、エド・サリバン・ショー、などには大好きなホセ・フェリシアーノ、ロス・インデイオス・タバハラス、が出演して、深夜にワクワクしながら観たものです。

NHKで世界の音楽という番組にもパコ・デ・ルシア、セラニートなどフラメンコのアーティストも出ていました。

あの頃のテレビ番組製作者はセンス良かったな~。

続く