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いーかのブログ

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兄には音階とコードを少し教えてもらいました。

テレビのコマーシャル(車のワックスだったと思います)でフラメンコ・ギターの音が聞こえました。
これだ!
と思いました。

サビカスのレコードを聴いてもどうやって弾いてるのかわかりません。

その後、東京音楽アカデミーという通信教育を受けました。

毎月楽譜と解説付き模範演奏のレコードが送られてきます。

最初は基礎練習を中心に簡単な曲(ちょうちょう)など。

毎月楽しみで教材が送られてくるのが待ち遠しかったです。

7か月目からずっとやりたかったフラメンコが始まりました。

この辺りから難しくなってきました。

この教材の曲がレパートリーとして増えていきました。

これらの曲を高校2年の時文化祭で弾きました。

フォークやエレキギターが流行っていた中、クラシックやフラメンコはもの珍しかったようです。

毎日ギターを弾いていたので勉強はほとんどできなかった。
試験前だけ爪を全部切ってギターを弾けなくして勉強しました。

次の年も文化祭で弾きました。
大勢の前で注目されると緊張しますが、とても気持ちよかった。
何かで目立ちたかったから。

高校を卒業後、友禅染をしたくて京都の工場で働きました。

その後、兄の会社で重機(ブルドーザー、ユンボなど)の運転士。

20才の時すでにギタリストとして活動していたK君と出会いました。

K君はスペインにも行ったことがあり、スペインでのことをいろいろ教えてくれました。

実際にギタリストという仕事がどんなものかなんとなくわかってきました。が、自分はその時はまだギターを生業にできるものとは思っていませんでした。

それから他のギタリストTさんに出会い、踊り手のH氏のところで伴奏の手ほどきを受けました。
H氏は何度もスペインへ行って彼もいろいろ教えてくれました。

その後、印刷会社でサラリーマンをしながら、喫茶店やホテルのラウンジでもギターを弾きました。

H氏は何度かスペインへ行っては帰ってきてスペインでの話をしてくれました。

H氏のところで伴奏をし、いろんな舞台での経験もさせてもらいました。
舞台での快感は高校の文化祭以来でした。

こういった経験でスペインへ行きたいという気持ちが芽生えてきました。

サラリーマンに魅力を感じなくなったというのもあります。

これで生活がやっていけると思った訳ではありません。

11月にH氏がまたスペインへ行くというのを聞いてその間に行こうと思いました。

もう27才だったのでこの先、人生で後悔のないようにと決心しました。

二人暮らしの母親は何も言わずに応援してくれました。

初めてのスペイン5へ


iPhoneからの投稿


僕がどうしてスペインへ行くまでの決心をしたのか。


小学校の勉強は嫌いでした。
好きな科目は体育、図工、音楽くらいでした。

子供の頃から何かで目立ちたいという願望がありました。
ただ目立つのではなく、誰にでも出来ないことでビックリさせて目立ちたい。

小学四年生の時、帰ろうとした時に五年生と六年生の先輩2人で講堂にマットを敷いてバクテンの練習をしていました。

六年生の方は完全な形になってなくて頭と手をつくバクテンらしきものでした。

五年生の方は、綺麗な完成されたバクテンでした。

これを見て、

やりたい!

やる!

と心に決めました。

家に帰り布団を二枚敷いてクッションを作り早速練習です。

最初は恐くてできませんでしたが、だんだんコツをつかみだし、6年生の先輩がやっていた手と頭の三点をつくバクテンらしきものができました。

その日はこれで満足して寝ましたが、毎日練習して手だけついてまわるバクテンがやっとできました。

次の日学校の帰りに講堂に行くと、、、
やってるやってる!
バクテンの練習。
先輩の前で初披露。
と思ったが、引っ込み思案で気の弱い僕は一歩が出ません。
そこで友達が僕を売り込んでくれました。

すると、先輩。

やってみー?

なかなか勇気が出ません。……
お前がバクテンできたらこの学校で三番目や!

やってみー?

学校で三番目?

ヨシ!

その言葉で勢いがつきました。


見事に成功。

星 ミッツです~!

学校で三番目の称号をいただきました。


夏休みには長い時間スペリオ(リコーダー)を吹いて遊んでました。
自分の知ってる曲の音を探してだんだん曲になっていくのが楽しくて。
アメリカ合衆国の国歌とか。

中学の時、曲は何だったか忘れましたが給食の時間に放送室に吹きにいったことがあります。

中3の時父親が病気で亡くなりました。
それからは10才離れた兄が東京から帰ってきました。(あいだに2人の姉がいます)

ある日、兄と友達が家で遊んでいた時に、

その友達の家にはギターがあって、それを僕が借りにいくことになりました。

スチール弦の張ったアコースティック・ギター

生まれて初めて持ったギターなど弾けないけど、

弾けないけど、

無性に弾きたいと思いました。


兄はコードだけですがギターを弾きました。
友達の前でギターを弾きながら唄う兄に憧れました。

僕がギターに興味を示したのをみて兄は質屋で探したギターを僕に与えてくれました。

めちゃくちゃ嬉しかったです。

今は兄に感謝します。

その兄も8年前に他界しました。(享年59才)


続く



マドリーのタブラオ、カフェ・デ・チニータスのアトラクションのギタリスト、セラニートに習おうと思い、緊張しながらタブラオに電話してセラニートを呼び出してもらいました。

僕のつたないスペイン語を優しく受け止めてくれました。

qiero aprender con usted
(私、あなたに習いたいある)

こんな感じかな?

返事は
彼は時間が取れないという理由から他のギタリストを紹介してくれました。

AREJANDRO WINEA
アレハンドロ・ウイネア

彼はオランダ人ですが、セラニートの曲を完璧に弾きます。
他にもニーニョ・リカルドなどの曲を教えてもらいました。

レッスンが終わったら近くのバルに行って2人でお茶して帰るのが習慣でした。

今日は僕がおごるから来週は君がおごって。
と、交代でおごりっこ。
スペイン語も上手く言い回し方なども教えてくれました。

HOY INVITO YO
(今日は僕がおごるから)
てな感じで・・・

彼はスペインでの滞在延長の許可証のための証明書を書いてくれて後でそれが役に立ったかどうか確認の電話までくれてとても誠実で親切な人でした。

photo:01



写真はセラニートと機内にて

数年後たまたまスペインからの帰国のとき同じ飛行機にセラニートが乗っているのを見つけて、あの時の電話の礼を言って(もちろん彼は覚えてるはずなかった)
アレハンドロの事を聞いたら彼は病気で亡くなったと聞いて愕然としました。

彼のことは僕の記憶にいつまでもハッキリと残っています。


続く

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