16日が旧正月一日でした。欧米から入って来た西暦よりも農暦の方が自然に忠実ですので、私はこちらにて生活を考えることにしております。
西暦の正月にバイク仲間たちと出かけた初ツーリングですが、房総半島でした。フェイスブックの方には多少のレポートを書いたのですが、こちらじゃないとご覧になれない方たちがいらっしゃるということで、旧正月に合わせて、思い出しながら書くことにしました。SNSはプライベート設定が面倒(個人の肖像の掲載などの問題)なので、その内に、できれば全部一緒にしたいものです。
三が日でしたが朝からフェリー乗り場にはかなりの数のバイクと車がいました。しかし、腑に落ちないのは、フェリー正面の場所に並んでいたものを、わざわざ乗船直前に90度横の位置に誘導して、待機させたのです。真っ直ぐに乗船すれば一番安全で、移動する距離も短いはずです。他の車の通行の邪魔にもなっていませんでしたし、それほど車両が混雑したわけでもありません。これまではずっと直進して乗船していたので、この様に不可解な誘導は初めてでした。
フェリーに乗船するためには鉄製のツルツルした架橋部分を渡ることになるのですが、そんな場所を大型バイクが斜めに侵入したらどうなるのでしょうか?滑ることを全く想定していない愚行だと思いました。我々は事故を避けるために、鉄製マンホールなどの滑りやすい場所はとても慎重に走ります。幸いに濡れていないので、横滑りをした人はいないようでしたが、とても危ない感じがしました。訴えられたらどうするんでしょうね?外国製大型バイクの修理費用は非常に高額です。
当日は大漁旗を掲げた漁船団も大漁祈願の行進をしていました。久里浜火力発電所の高いトンネルの左には雪を頂いた三角形の富士山が綺麗に見えました。日の丸の上が観音崎。その奥が横浜と都心方向です。
昔は祝祭日に日の丸を掲げる家庭がよく見られましたが、最近では少なくなりました。船尾に翻る日の丸がとても新鮮に感じます。来年からはバイクのアンテナに国旗をつけて走ろうかと思いました。一時期は日の丸を車やバイクに付ける右系の人間に見られるという偏見がありましたが、よく考えればおかしな先入観を身につけてしまったものです。その原因は戦争の自虐意識を洗脳されたことと、日の丸を見せびらかしながら、暴走したり、愛国者とは程遠いチンピラまがいの言動をする輩の悪影響もあるのでしょうが、非常に残念。自分の生まれた国を誇りに思って愛することが悪いはずがありませんからね。
甲板からの景色は綺麗なのですが、寒いので途中から船内に避難。バイクに乗っていると寒くありませんが、降りると寒く感じるのが不思議です。我々は前日に急遽走ることを決めたので4人だけ。身軽なのでとても気が楽。大所帯になると走りも、食事も大変ですが、5人程度であればほとんど問題はありません。
房総半島の西側は東京湾に面しているので、対岸の三浦半島が見えます。その半島の上には富士山の姿も見ることができますから、富士山が如何に大きいのかわかります。その東京湾側の最先端が洲崎の燈台。高さは15m。富士山から伊豆大島までが見渡せます。大きな駐車場はないため、通常は路駐することは無理ですが、三が日で近隣のお店や住宅地にも人気が無かったので、短時間だけ停めることができました。
燈台に上がる階段の両側にある四角いコンクリート製の欄干が昭和を感じさせます。今なら、ステンレス製で軽くて錆びない手すりや欄干がいくらでもありますので、こんなに手間のかかる不合理な物は作らないと思います。欄干の間隔だって大きすぎるので、子供なら下に落ちてしまいます。
上の方は欄干が壊れたらしく、その代わりに現代風の丸太を模した欄干が設置されていました。ちょうど水仙が見頃で、芳香が漂っていました。燈台のある高台からは東に太平洋、反対側には富士山も見えます。下を見ていたところ、我々が駐輪した休みのはずのキャンプ場からでようとしている車が見えたので、みんなでダッシュで戻って移動させるというハプニングもありました。
先日、ラジオで燈台愛好家の話を聞く機会がありましたが、最近は携帯やカーナビにもGPSが普及しているために燈台の役割がそれほど重要視されなくなっているそうです。燈台のレンズと反射鏡は特殊な構造で、文化遺産的な価値があります。欧米では文化の一つとして保護していますが、日本は管理の問題で簡単に壊してしまう可能性があると危惧していました。是非とも保存してもらいたいものです。
房総に来ると楽しみにしているのが海鮮料理。私の地元と取れる魚が違うのが面白いのです。また、房総半島には捕鯨基地もありますので、昔からクジラ料理も名物です。三が日なのでお休みだろうと思って電話をしてみると営業中だということで、クジラ料理のお店に向かいます。三が日なので通常より材料と種類は少ないそうでしたが、菜の花のお浸し、アジ刺身、クジラのフライと刺身をいただきました。黒っぽいのがツチクジラ、ピンク色がミンククジラの刺身です。
クジラを食べるというと、賛否両論です。特に外国人の印象は非常に悪い。私は大前提として、無益な殺生はするべきではありませんが、根拠に乏しい感情論も大嫌い。
昔は安い食材でしたが今は高価。時代の流れは皮肉なものです。元々ニワトリ以外の家畜を食べる習慣がほとんど無かった日本人が今では豚や牛を食べ放題です。そして動物愛護を提唱し、ペットを家族のようにかわいがる人達は食用の動物には無頓着なのに、その一方で歴史の古い食文化であるクジラに対しては同情をする。その理由をさかのぼると、欧米の批判に基づくものであることがわかります。彼らは今でも可愛いウサギや鹿を狩りますが、イルカやクジラには同情的です。アジアの国々では犬を食べる習慣もありますが、ペットとしての犬が増えると、非難の対象となっています。その判断根拠は感情的なものが中心で、種の保存や生息状況の統計は無視され、「賢くて可愛い生き物を殺すことは罪だ」という感情論が先行しています。だったら、「馬鹿でみにくい生き物」は殺しても良いのでしょうか?
自分もアメリカのテレビドラマ「わんぱくフリッパー」を見て育ちましたので、イルカは大好きで可愛いと思っていました。ですから、近所の魚屋さんにアンコウやサメと一緒にイルカの頭が吊るしてある様子を見た時には大ショックでした。ところが、大人になると、人間の生理的な感情というもののいい加減さと怖さを知ることになります。この世の中はそれほど単純にできてはいない事に気付かされます。我々は、動物に対して、同じ命であっても、自分たちが可愛い、親近感を覚えるものは守り、そうでないものは軽視する傾向があります。蛇などの爬虫類や虫は気持ちが悪いと言いつつ、犬や猫ちゃんは可愛いとか言うわけです。同じ命であっても、その様に差別してしまう。
優遇と差別は裏表の関係ですから、そういう思考の延長が色々な差別につながっているのですが、それに気付いていない。その為、こういう客観性の無い感情的な考え方をする人たちは根拠のないデマや、マスコミのインチキ情報に刺激されると、よく考えずに感情に任せて騒ぐのです。私はこの手の人たちが一番恐ろしい。
確かに人間に近い頭脳を持っているものを殺したくないという線引きがあるような気もします。しかし、イルカやクジラが哺乳類であり、魚ではないとわかったのは近代です。水中カメラでとらえられた可愛らしい生態も最近の情報です。あれらを見れば、殺意は無くなると思いますが、当時は単なる巨大な魚という認識でした。食料が今ほど十分ではない時代、身近にあるものを食べるのが自然です。気候や地理によって生息している生物も違うのですから、食べるものが違うのは当たり前。それによって生まれた食文化です。原始時代はマンモスやナウマンゾウなども食べていたわけです。捕鯨の歴史も世界中、海のあるところには存在します。イルカなどの小型のクジラが中心で、古代遺跡から食用とされた骨が発見されます。一頭獲れれば当分の食事には困りませんので、とても貴重な存在だったでしょう。
日本は元々資源に乏しい国ですから、栄養や油脂が取れるクジラはとても貴重な生物資源でした。欧米でも石油が普及するまで、灯火はクジラの脂です。ピノキオの話にも登場します。アラスカやシベリアには鳥獣が少ないですから、クジラ類は今でも貴重な食料です。プラスチックが無い時代、弾力の必要な部分にはクジラの髭や骨類が多用されていました。各種留め具、バネ、弦楽器の弦、テニスラケットのガット(髭と脳の周りの繊維)、象牙に代わる加工素材などがそうです。
命の軽重や価値観を決めているのは自分勝手な人間ですよ。生物の知能レベルによって区別して殺生をするというのも、思い遣りがあるように聞こえますが、元はやはり人間の勝手な価値基準だと思います。自分たちが生きるためには他の生物を殺生する事も必要です。植民地政策時代は世界中を略奪と侵略しておいて、他国に対してはよく言えるものだと思います。彼らは生活の為ではなく、欲の為ですから、さらに非人道的です。
房総には無料で入れる資料館もあり、捕鯨の歴史や資料を見ることができます。これは近代の捕鯨船のモリ。クジラは釣り針で釣れませんので、機械で打ち出す大型のモリを使います。釣り針を展示してあっても驚きませんが、1m以上もの長さのある鉄製のモリを見ると迫力があります。と同時に、クジラを殺傷する時の苦痛も想像してしまいますから、捕鯨に反対する欧米人に限らず、普通の心を持っている人間であれば誰でも同情すると思います。できれば、生物は何でも殺したくありませんし、殺すべきではありませんね。ただ、生きるために殺生の問題が起きる。
昔の人々も同様の葛藤はあったと思います。日本は殺生を禁じる仏教国でもありますから、申し訳ないと思いつつ捕鯨をしていたのです。しかも、相手は巨大な生き物ですから命がけです。それらの行為を通じて自然の厳しさ、人間として生きるための残酷さも学んだのです。その証拠に日本の漁村にはあちこちにクジラ塚というクジラを供養するお墓があります。海外で狩猟対象の鳥獣を供養したお墓はあるのでしょうか?あまり聞いたことがありません。日本では日常生活に関するものにも針供養、筆供養などがあります。これが日本人の心です。この心は捕鯨反対の気持ちと通じる部分もありますので、必要性が無くなれば、捕鯨は自然消滅する気がします。
それに対して、今でも銃器で鳥獣を狩猟することをセレブや貴族の高尚な趣味としている民族があります。昔は高価な馬、今は四輪駆動車で動物たちの世界を侵略し、ライオンや象を仕留めた画像を得意げにアップしている人もいます。食べる為と、遊びの為、全く違うと思います。最近はネットなどでも可愛らしい動物たちの映像を見ることができるようになりました。その可愛らしい様子を見れば、食べるためとは言え、殺してしまうことに罪悪感を覚えて当然だと思います。豚だって牛だってとても可愛いではないですか。
クジラを含めて世界に食料が十分にまかなえるようになると、自然と無益な殺生はしなくなると思います。昔は豚肉や牛肉よりもクジラ肉が安価でしたが、今は逆転していますから、その内に自然消滅する文化かもしれません。最近は肉のような肉ではない食品もよくできているそうです。触感や味も肉とその差がわからないようです。不要な殺生をしないで済むなら動物を食べる文化も消滅してもいいと思います。また、生き物を食べたくない人が増えれは自然消滅するでしょう。昔は冬の風物詩でもあった大陸の犬鍋や犬料理も徐々に姿を消しつつあります。今回も食べながら色々考えましたが、今後もグルメの為に敢えて食べたいとは思いません。動物性のタンパク質をとらなくても生きることはできますので、人間の心や文化の問題なのかもしれません。
欧米の批判も元々は似た様な理由で始まったのでしょうが、歴史のある文化でもありますし、まだそれで生活している人たちもいます。伝統的な習慣や思想から、脱却するには時間が必要です。
そして、忘れてならないことは、我々がお店で買ったり食べている肉類は加工後のものですが、それは誰かが代わりに殺生してくれているから食べることができるのです。今でも国によっては家畜を自分たちで殺し、皮をはいで、血を抜いて食べます。子供の頃から家事の一つとして教育されます。だから、自然と死を恐れるし命を大事にします。私が遊びに行くと、歓迎の為に、先ほどまで一緒に遊んでいた可愛い子豚や子ヤギをさばいて料理にして出してくれるところもあります。この時の衝撃と罪悪感、悲しみの入り混じった感情は表現できません。食欲は失せるのが普通ですが、皆さんは私が喜ぶ顔が見たくて、満面の笑顔で私が食べる様子を見つめるのですから、どうしてよいのか戸惑います。私の為に殺さないで欲しい、肉なんか欲しくない、と言いかけますが、子供ではありませんから、それが文化だし生物が生きる自然の厳しさと現実なのだと言い聞かせながら、我慢しながら笑顔でいただきます。もの凄いストレスです。美味しいはずの料理が不味いし、消化不良を起こします。これを克服するためにしたのは、殺したくない可愛い動物を一緒にさばいて料理をする事でした。通常の小動物であれば田舎育ちの私にも経験がありますが、大きくて可愛い動物の経験はありませんでした。温かい血の感触と匂いの中で生死の意味を感じました。
そういう経験のない文明人は反対に自分では手を汚さず、命を自分勝手な価値観で考え、綺麗事だけを言うようになってしまうことがあるのだと思います。でも、それはそれであり。その代り綺麗ごとを言うからには徹底するべき。自分が殺したことの無い動物は一切食べない事です。それだけの覚悟をもって言うべきですよ。
お正月の為に食材は限られていましたが、お節の為にわざわざ用意した菜の花のお浸しも美味しくいただきました。美味しかったです。
そう言えば、冬でも暖かな南房総にはフラワーラインと呼ばれる街道があり、1月でも菜の花などが咲き乱れているはずなのですが、今年は少なかった。寒さのせいで開花が遅れているのかと思っていたら、クジラ料理店の女将さんが、台風による高潮の影響で海沿いの花畑が全滅してしまったのだと説明してくれました。塩害です。お店で出していただいた菜の花のお浸しは山方面に住む知人が持って来てくれたものだそうです。どおりで、走っている間に菜の花をほとんど見なかったわけです。
塩害を免れた場所もわずかに残っており、そこでは例年通りの菜の花が見られました。しかし、ほんの一部だけですから、寂しい。
食べて走るだけでは全く正月らしくありませんので、せっかくだから何かお正月らしい事をしようということになりました。そこで思いついたのが比較的近くにある名刹に初詣でした。
この近くで生まれた日本の宗教史に誇る偉人の一人が日蓮上人です。その上人の生家跡に建立されたものが誕生寺です。地震による地形の変化で、元の生家の場所が海中に没してしまったために陸上に移築されたのが現在のお寺の由来です。

最近、改修されたようで、参道に並んでいたお土産店は減り、参道も境内も綺麗に整備されてしました。日蓮上人は漁民の出だと伝えられています。豊かではない暮らしの中から偉大な業績を成し遂げた大人物です。私は日蓮宗ではありませんが、とても素晴らしい哲学だと思いますので、この近くに来る時には大体立ち寄っています。
この港町からほど近い山中には上人が修業をした清澄山があります。清澄山は素性の不明な「不思議法師」という神通力のある僧によって開かれた山岳信仰の寺院でした。その後に、唐から最澄によってもたらされた天台宗の寺院となります。その後に日蓮は修行することとなります。空海もそうですが、神通力とか法力のある人物は日本古来の山岳信仰と結びついた人が多いと思います。大陸の道教と似ています。これには共通する理由があるのですが、それは長くなるので、また今度。
1703年建立の仁王門は大火を免れて残った最古の建造物。欧米と異なり、日本の建材は木と紙でしたから、火事が最大の災難です。考えてみたら、燃料の中で暮らしているようなものです。江戸の街は火災の度に姿を変えていますし、様々な対策がとられました。消化の方法は放水ではなく、建造物を破壊して、燃える物を撤去する方法です。短時間で解体する様子は、命がけの凄い迫力でしたので、町火消は勇気ある男だとも言われたわけです。延焼を食い止めるために考え出されたのが、各エリアごとに分離できる、道幅の広い街道や水堀でした。それが現在都心にある幹線道路の起源です。古人の知恵です。
仁王門の外には、海中に水没した上人の生家跡を向いて誕生堂が建っています。幼いころの上人とご両親が祀られています。その上にも御堂があるのですが、わざわざ上ったことはありませんでした。通常、好奇心旺盛な私は隅々まで散策しているはずなので、行っていないのは珍しい事です。しかし、この後に大発見がありました。
帰ろうと思って、参道を総門に向かって歩いていると、昔は土産店が軒を連ねていた場所が綺麗に整備されていました。お土産コーナーのほかに展示スペースもあるようです。何気なく見ていたら、外に貼られていたポスターに「伊八」という文字を発見。江戸時代の著名な木彫家です。鴨川の海で生まれ育ち、特に波の造形が真に迫って見事であることから通称「波の伊八」とも呼ばれます。
よく知られているのは、あの高名な浮世絵作家であった葛飾北斎も伊八から波の表現を学んだと言われていることです。海外のお土産品のデザインとしても頻繁に用いられる「富嶽三十六景、神奈川沖波裏」はその影響を強く受けていることがよくわかります。
その30年以上も前に伊八が彫った作品がこれです。現代の高速度カメラで波の様子を撮影した時の、しぶきや水の粒子の状態まで細かく観察してとらえていたことがわかります。伊八は寺社の木彫を主に彫りましたので、波間に浮かんでいる物体は仏教と関連がある宝珠だそうです。
現代はすぐにコピーだ、パクリだと騒ぐかもしれませんが、北斎の凄い所は単なる模倣ではないことです。宝珠の代わりに富士山とし、手前の波は違う角度から見た富士山としました。素晴らしいアイディアだと思います。展示場の方と話をしたところ、山の上のお堂に本物の作品が残っていると教えていただきました。どうして、もっと宣伝しないのかと尋ねたところ、興味の無い人にあえて教える気がしないのだそうでした。
こうなったら行かなければ損ですから、早速見に行きます。
一度、境内に戻って庭の後ろから山に登ることになります。下から見えますが、多少歩くので、参拝客は我々のみです。後から我々が騒いでいるのを見て数人が上って来ました。
展示場では波の間を泳いでいる魚の姿が見事だと言われていましたが、その通りです。表面は龍で、裏に彫られているので、知らなければ見過ごしてしまう人も多いと思います。我々も教えていただかなかったら見ることはできなかったでしょう。
そもそもこのお堂まで来る人自体が少ないですから、非常にもったいない事です。このお堂は名前も「太田(稲荷)堂」というl名称であるため、日蓮上人や仏教とも関連性が無いし、人間の名前だから、どうせ誰かこの辺で所縁のある有名人のお堂なのだろうと思ってしまうのでしょう。何を隠そう、私がそうでした(笑)。日本の寺社には合祀という習慣があるのですが、これは好き嫌いや是非の問題もあると思います。ある意味、寛容な日本的だとも言えますけどね。
ちなみに、起源は房総の里見氏と一緒に相模の北条氏と戦った武将です。先祖は江戸の基礎を作った太田道灌ですから、「太田」なのです。
しかし、高台から眺める境内と海の風景は一見の価値あり。この地から日蓮上人がご誕生されたと思うと感慨深いものがあります。
この後、私は都内のイベントに顔を出すためにアクアライン経由、残りはフェリーで地元へ帰るコースに分かれました。カーナビの渋滞情報を見ると、都心方面はかなりの渋滞でした。案の定、アクアラインの手前から大渋滞が始まっていました。
ちょうと日没の時間帯だったので、向かっている西の方角には富士山と夕日が見えています。渋滞する車の間を何十キロもすり抜けながらの夕日鑑賞です。私のバイクは横幅もかなりあるため、すり抜けにはとても気を遣うので、こういう場面では全く快適ではありません。それに、日が暮れかかると、急激に気温が下がります。アクアラインは半分が海上の橋で、半分は海底トンネルです。いつもは排気ガスで大嫌いなトンネルがこの日ばかりは暖かくてありがたく感じました。しかし、ずっと渋滞は続いています。
60キロ近い大渋滞をようやく抜けて、レインボーブリッジ。大体の人が渋滞を抜けるとホッとして飛ばします。それを狙うのが意地悪なネズミ取り軍団。湾岸線はディズニーランドの渋滞の後にもよく出現するので注意が必要です。
この赤い塔を見ると東京に来ている実感がわきます。スカイツリーは色が寒くて、冬にはあまり見たくありませんが、こちらは何かホッとします。
この日は遅くなったので都内の友人宅にお世話になりました。
翌日は入れ違いで、ダンス仲間のバイク乗りたちが地元方面に走りに来ていたようです。本当は一緒に走れる良かったのですが、あいにくと都合が合わなかったのです。
せっかくですから、夕方にどこかで合流しようという話になり、横浜の温泉で待ち合わせ。私は予定時間に駐車場に入っているのに、仲間たちの姿が一向に見えません。
おかしいと思い、携帯電話で確認したところ、逗子の海沿いでバイクのエンジンがかからないので、友だちのバイクに乗せてもらい、プラグを買いに行っているとのことでした。
バイクが故障した現場は近くに消防署もあったために、バッテリー充電器もお借りできたのですが、それでも無理でした。大型バイクなので押しがけも困難。時間もだいぶ経ち、気温も下がって来たので、現場の復旧は諦めて、レッカー移動することとなりました。
後から判明したのはソレノイドバルブというエンジンをかける時に起動する部品の電気トラブル。私も何度か経験していますが、これが設備や工具の無い外で起きるとお手上げです。昔のバイクは足で蹴って始動するキックスターターという機能が付いていたのですが、現代製は電気です。重くなってもいいから、今のバイクにも欲しいなあ。キットもあるみたいだけど、前兆がわかるので、予防すれば問題はないか・・・などと考えてしまいました。
バイク店にレッカー移動後にご一緒した刀削麺。夕食も我慢したままで、寒い外にずっといたので、とても温かくて美味しく感じました。
ちなみに、あるラーメン通はテレビ番組でこう言いました。「刀削麺は麺として欠陥がある。それは最初の一本と最後の一本に茹で時間の差が生まれるから」だそうです。刀削麺とはラグビーボールのように丸めた小麦粉を片手に持ち、刃物で鍋の中にそぎ落としながらゆでて行きます。それを刀削麺の職人さんに言ったら「最初のは厚めに削っておいて、最後のは細く削っているから大丈夫」と答えました。
でも、実際に見ていると、削り方は同じで適当。一方の食べるラーメン通さんも、麺の一本一本の硬さまで気にして食べているのかは疑問。普通は数本をまとめて食べるでしょ。それなのに見分けられるとは思えません。
毒じゃなくて、美味しければどうでも良いなあと思いました。



































