しかし、雪国の人たちからは「わざわざ雪しかない寒い所に、何時間もかけて斜面を滑りに来る人たちの気が知れない」と言われますから、お互い様です。
そうすると、水のある涼しいところが良い。
前回は富士山の風穴でしたが、あの周辺にはまだまだ色々あります。
腹ごしらえで立ち寄った蕎麦屋で山芋そばを食べていると、近くに石畳の道があります。苔生していて、とてもいい雰囲気ですから歩いてみました。

これは昔の東海道だったそうです。箱根の山を越えるために江戸時代に作られたものだそうでした。しかし、自然の石を並べただけなので、欧米のように平らではありませんから、歩き難いです。
街道には区間距離を示すための一里塚というものが作られました。日本史で習いましたが、実物を見る機会は少ないと思います。

小さな丘状に盛り土がなされ、木が植えられていました。近くには一里塚の石碑も立っています。更に奥へと進むと、杉木立の旧街道が続いています。途中でお会いした方に聞いたところ、箱根の関所まで続いているそうです。

どこからこれだけ大量の石を持って来たのでしょうか?かなりの作業量です。
当時は専用のトレッキングシューズなどはなく、ワラジか下駄でしょうから、歩くのは大変です。隙間だらけで、デコボコした石畳なので、足を挫いてしまいそうです。
所々に解説の看板が立っており、面白かったです。この斜めの石組は排水システムだったそうです。

上から流れて来た水は斜めの石組の部分から、道の外側へ排出される仕組みなのです。使用する石の大きさが異なるのも水の流れをコントロールする意味があるそうです。
旧街道から離れて、山奥を目指します。渓流の音を聞きながら歩きます。水の音が近くなると、緑色の渓流が姿を現しました。喉が渇いていたので、ちょうど良かったです。
身体も暑く火照っていたので頭から水を浴び、身体を濡らしました。

気化熱でとても涼しくなります。泳ぎたい気分でしたが、山の日暮れは早いので、先を急ぎます。バイク用のブーツは夏に履くと暑いのですが、丈夫なので岩の多い斜面を登るのは楽です。
途中で、ようやく一人目の人間と遭遇。余程の物好きでもないと、ここまで登って来る人はいないようです。しかし、そういう所に宝物は在るものなのですよ。
黒い岩が水しぶきに鈍く光っていました。水量も申し分なく、周辺には水しぶきが霧状にたちこめていました。

誰もいないので、全裸になって滝壺に入りたいところでしたが、我慢して上半身だけを脱いで水浴びです。水はかなり冷たいので、長時間入っていると足先が痺れて来ます。

遠くから見るとこういう感じです。自分では撮影を忘れたので、ハイカーの方の写真を拝借しました。二段になっている滝の落差は合計40メートルですので、かなりの迫力です。
気持が良いので、滝つぼに入り、水もゴクゴク飲みましたが、気付くと「この水は飲用ではありません」という立て看板がありました。後の祭りですが、私は昔から山の泉や湧水は飲んでいますから、余り気にしません。現に、このブログを書いている時点でも何の問題もありませんからね。
滝の周囲にある黒光りする石が滝の迫力をより増していましたが、玄武岩のようです。周囲を見回すと、至る所に岩肌が露出しています。落石も多いようで、警告があちこちに貼られていました。

これは規則正しく積まれた石垣のように見えますが、天然の岩です。マグマが冷えて固まる過程で筋状の亀裂が入ったもので、柱状節理という構造です。
これは福井県の東尋坊や九州の高千穂などでも有名です。
(高千穂)

高千穂のものは緑色の渓流沿いに柱状節理が露出しているので見事です。
これが巨大な山のようにそそり立つとアメリカのワイオミング州にあるデビルズタワーになります。未知との遭遇で宇宙人たちと会う場所に設定されていました。
(デビルズタワー)

こいつは高さが386メートルもあり、岩肌が露出しているので目立ちますが、箱根の山も緑の樹木をそぎ落とせば、同様の構造かもしれませんね。
岩の崖を見てから、あらためて周辺の山々を見ると、人が登れそうもないほどの急な山が数多くあることがわかります。
今、我々がドライブで通る道はそれらの険しい山々を避けて作られたのです。
古人が「箱根の山は天下の険」と言っていたのも納得です。
そしれ、それらの岩は風化と共にゴロゴロと崩れ落ちますので、石畳の材料に事欠くことはなかったのです。