そこで、最終日の前日に大慌てで行ってきましたが、内容が子供にもウケそうなためにかなりの人で賑わっていました。
トリックアートと言うと、日本では「だまし絵」と訳されることが多く、手品やアトラクションとしての印象が強いかもしれません。観光地にもトリックアート美術館という名前の場所をよく目にします。面白いので年齢や性別を問わず楽しめますが、特に子供でも楽しめるような立体的で身体を使って体験できるタイプが人気のようです。
遠近法のトリック

同じ人間なのに、大きさが違って見えます。
ドイツ人作家による路上のトリック

普通の舗装された道のはずですが、怖くて歩けません。
「だまし」という言葉の響きには悪いイメージがありますから「錯覚」と言った方が良いかもしれません。劇場や舞台のセットなどは多くが錯覚を利用して奥行を出したり、立体的に見える事物や背景を描いていますが「だます」という悪い意味はありません。
そんなことを言ったら女性のメイクなどは一番身近にある「だまし絵」でしょうね。輪郭や凹凸も錯覚を利用して描いています。ファッションでも縦縞模様や色の濃いを着ると細く見えると言うのも同様です。
今回の展覧会は、そういう「だます&だまされる」面白さに着目して意図的に作品を作るアーティストたちの紹介でした。学芸員によっては作家の想像や表現としての不思議な世界をもトリックアートの範疇に含める人もおり、今回もいくつかありました。
例えば、ダリやルネ・マグリットといったように絵の中に何らかの意味を暗示する手法です。

今まで時間は不変だと思われていましたが、アインシュタインの相対性理論などにより、時間にも歪みがあることがわかりました。それと、偶然に食べていた柔らかいチーズのイメージから時計を歪める発想を得たそうです。

天気を日めくりカレンダーのように考えたアイディアです。
これらは「だます」と言うよりもアイディアの表現方法の一つだと考えた方が良いと思います。
そうではなく、単純に錯覚や構造の面白さに着目するアーティストがいます。
この分野の先駆けと言えば、やはりエッシャーです。子供のころから大好きでした。絵として見ると、確かに存在するような気になりますが、良く考えると有り得ない構造をしています。

この水路はどの部分が一番高いのでしょうか?水路の一番上から流れ落ちた水がまた水路に戻って行きます。こんな水路があったら永遠に水が不足することはないでしょう。

この建物は立てなのか横なのか、ねじれて立っているのかわかりません。建物の外にかけたはずの梯子を降りると建物の中に入ってしまいます。
子供の頃にこの絵を見た時は、「なんじゃこりゃー」と大喜びでした。
これは絵画という平面(二次元)の世界の話であり、立体化(三次元)することは不可能だろうと思っていましたが、なんと、それを立体的に実現してしまった人がいました。
それが日本のエッシャーと呼ばれる故福田繁雄氏です。NHKなどで子供にもわかり易いようにトリックアートの面白さを解説していたことが思い出として残っています。
エッシャーの三次元立体モデル
建物を見ると人間は同じ位置に建っていると勝手に思い込みます。
人間は勝手に推測し、思い込んでしまう癖があるのです。本当は距離に違いがあっても、先入観のせいで脳が都合のいいように調整してしまうのです。
福田氏はエッシャー同様に数多くのデザインも制作しています。

これは銃身を絞られて撃てないライフルと、撃った銃弾が自分に戻って来るデザインで、反戦を訴えたものでした。

立体作品としては、ある物の集合した影が全然関係のない物体を表している作品もあります。
スプーンやフォークなどの食器がごちゃごちゃと集まっています。そこにある方向から光を当てると、その影はバイクになっているのです。
とてもユニークで希少な才能でした。お亡くなりになったのは非常に残念です。現在はそのお嬢様である福田美蘭さんがやはりご活躍です。才能や感性の遺産を受け継がれているようで、嬉しくなります。

芸術と言うとお高い存在だとか、金持ちやインテリの趣味だと考える人も少なくありませんが、それは偏見です。そういう偏見がますます自分の感性を遠ざけることになるのです。感性は誰でも持っていますが、磨きをかけることによって奥行が広がります。感じ方に幅が出ます。相対的に偏見や先入観は減少します。
それにより養われた感性は仕事や生活に反映されます。私の場合はファッション、趣味、バイクや車の改造の仕方、色彩感覚などに影響を受けていることがよくわかります。
これは人間性にも言えることです。経験や知識の少ない人間や子供の段階では狭い範囲で物事を判断しますので、偏った考え方をするようになりますが、様々な経験を積み重ねることによって、見方が変わり、視野が広がります。今まで自分が正しいと思い込んでいたものが、実はそうではなかったと言うことがたくさんあります。
そう考えると我々の人生にはトリックアート的な要素があるような気がします。見方を変えることによって、新しい道が開ける可能性もあるでしょう。今まで気付かなかったことを急に発見することもよくありますね。