不思議に思って、なんでそんなによく知っているのかと話を聞くと、子供の頃に実際に会っているそうなのでした。
確かに母は、今でも高齢にもかかわらず趣味のバレエを続けていますし、バレエ好きには変わりがありません。バレエの番組やDVDなどを見ると、見ながら踊っています。足の指は変形していましたが、トゥーシューズを履き続けたせいだと言っていました。
しかし、今まであまり深い話はしたことがなかったのです。母親も私がバレエにそれほど興味があるとは知らずに、自分から話すようなことはしませんでした。
それで、良い機会だと思い、バレエの歴史を学びつつ、母の話も聞いてみることにしました。すると母がリアルタイムでバレエの創生期を体験していたことを知り、驚きました。
日本でバレエが流行するきっかけとなったのは大正時代に来日したアンナ・パブロワというロシアの綺麗なダンサーの公演でした。

貧しい家柄出身でしたが、天性の身体能力と美貌で素晴らしいバレエダンサーとして世界各地を公演して回ったそうです。日本公演でも大絶賛されたそうです。しかし、当時の日本ではまだバレエという言葉もなく、専門に教えているところもありませんでした。
その同時期に、ロシア革命から日本に亡命したエリアナ・パブロワという同姓(パブロワ)の貴族の末裔がいました。苗字が同じであるというだけで、アンナ・パブロワとは全く関係がありません。母のナタリア、妹のナデジタと共に上海経由で来日し、横浜で西洋式舞踏を教えていたそうです。横浜は外国人居留区がありましたので、西洋文化に関する需要があったのです。
左ナデジタ、中央エリアナ、右ナタリア

その頃、バレエを教えて欲しいという需要が高まり、パブロワ親子は鎌倉にスタジオを構えました。それが七里ガ浜のスタジオです。その門下から服部智恵子(助手も務める)、東勇作、橘秋子、島田廣、藤田繁、貝谷八百子、大滝愛子、近藤玲子、松岡みどり等、日本バレエの創生期を担った数多くの人々が誕生しました。母の恩師もそのうちの一人です。ご逝去されましたが、亡くなる直前まで宝塚のバレエ教授としてご活躍されていました。
私も小さな頃にお会いしているそうですが、残念ながら記憶がありません。先生から男のダンサーとして入門を勧められていたそうですが、父方が固い思想の持ち主であったために、男なのにダンスなんてもってのほかだ!ということだったらしいです。
しかし、ジャンルは違えども、私もダンスが好きですから、何かのご縁を感じます。

当時の横須賀は海軍工廠があり、近代的な都市でした。また戦後はアメリカの進駐軍がいたため、慰問の依頼を受けて、横須賀市内でもたびたびバレエ公演をしていたそうです。当時はバレエとは言わず、「洋舞」と呼んだそうです。
姉のエリアナさんは中国での慰問公演中に若くして病死してしまいましたから、その後は妹のナデジタさんがレッスンを引き継ぎました。
それを見て、やりたいと思い付いたのが母がバレエを始めたきっかけだったそうです。母の家は早くに父を亡くしていますので、経済的に余裕はなかったはずですが、兄弟が多く、末っ子である母のために協力してくださったそうです。パブロワ先生の門下生が地元で教室を開いていたので入門しました。
それから母は「好きこそものの上手なれ」と言う通り、子供ながらにしてかなりの技術を身に付けたそうです。そして、米軍基地内などの公演にも出演することになりました。当時は門下生(後の有名な先生方)同志も交流があり、そこではナデジタ先生や諸先生方にも可愛がられたそうです。
母は特に回転する技術に長けていたようで、高齢になった現在でも学生さんたちよりは回れるそうです。ところが、当時、自分より年下の子供に重要な役を奪われることを面白く思わない人がいました。それで、色々ないじめや嫌がらせがあったそうです。
ある時は、公演の直前にトゥーシューズを隠されてしまったそうです。トゥーシューズは足を測って作りますから、他人のものはサイズが合わず、無いと上手に踊れません。
いじめの方法としては、靴を切り裂くこともあれば、靴の中に画びょうやガラスの破片などを入れたりすることもあったそうです。怖いですねえ。しかも、子供の親がやることも多いそうです。いわゆるステージママといわれる人たちですね。
確かに、私の経験でも子役について来るママさんたちには凄い人が多かった気がします。
という話を聞いていて、先日観た「ブラックスワン」という映画を思い出しました。映画でも複雑な人間関係が描かれていました。ライバル意識や不安などが精神的なプレッシャーとなって押し潰されてしまう人もいるそうです。それらを勝ち抜いた、技術と精神力に秀でた人が一流のダンサーと言われる人たちなのです。

私の母にブラックスワンの話をすると、そんなのは当たり前。女性だけの世界は怖いものだと言っていました。「女の園」とは魅力的な響きですから、入ってみたい気もしますが、怖いのでしょうねえ。そこに男性が入ると女性も格好をつけるので、秩序が保たれるそうです。これは男ばかりの現場でもよく言われることです。
ブラックスワンを観ていて、白と黒は正反対の性格なのだから、違う人にやらせてあげればいいのにと思いましたが、白鳥と黒鳥を一人二役でやることこそが演技や表現の醍醐味であるそうです。その役をできることはこの上ない名誉なことなので、誰でも憧れるそうでした。
一人二役ではありませんが、あれを観ているとスケートのMちゃんと韓国のKさんを思い出しました。MちゃんにKさんみたいな色っぽい演技を強いるのは無理なものです。個性や育った環境が違いますからね。私はMちゃんらしい可愛らしい演技で行けばいいと思います。逆にKさんにはMちゃんのような演技はできないはずです。主演のN・ポートマンを見ていても痛々しく感じました。

それで、母に「そんなにバレエが好きなのに、なんで続けなかったの?」と聞いたところ、自分の容姿では無理だと思ったそうです。当時、マーゴ・フォンテーンというとても綺麗なダンサーがいましたが、その女性を見てバレエを諦めたそうでした。その美貌と美しいスタイルを見て唖然としたそうです。自分はまだ子供だから踊らせてもらえるけれど、自分が大人になっても到底彼女の比ではないと思ったのだそうでした。

これは確かにかないませんよ。母の容姿は確かに典型的な日本人ですからね。一家の生計を立てるために、家族全員が働いていたので、洋風の生活は不可能だったのです。先日公演を拝見したT先生は中学生なのに八頭身という信じられないようなスタイルでしたが、母もそうだったら続けていたかったことでしょう。それが無理なので綺麗で優秀な人たちを応援することにしたそうです。

その意味では最近の日本のバレエダンサーは容姿も技術も世界的なレベルです。アイススケートなどの表現力や技術はバレエが基本になっているために、アイススケートの人気と共に見直され、バレエブームだそうです。将来、優秀な人材が生まれることが楽しみです。
私も母の昔話を聞くことができましたし、バレエの歴史も改めて勉強することができました。こういうきっかけがなければ、そういう機会はありませんでしたから、この世の中のご縁とかタイミングとは本当に面白いものです。
感謝だなあ。