糸島半島です。「龍」を思わせる形をしています。「神聖」な地と伝えています。二つの赤丸、上が「釜塚古墳」下が「一貴山銚子塚古墳」です。実は天孫の御稜です。
「一貴山」はその名が示す如く、とても貴い方の古墳です。その副葬品から「王」の古墳と分かります。日子穂穂出見命様の御陵です。
命様のご生誕は推定で邇邇芸命様の降臨の年、250年です。もちろん紀元後です。この古墳は四世紀後半と推定されていますので、130歳の長寿であった応神様と同じく、大変な長寿であったと考えられます。原則、天孫は皆、長寿です。わたしの父も、90歳の長寿で元気にしています。
釜塚古墳
「釜」は家族を伝えます。ここには三つの石棺があったようです。父・母・御子の家族です。父は鵜萱草不萱合命、母は玉依姫そして御子は長子の五瀬命様です。二番目と三番目の子はその当時、伊都国を離れた事が古事記から分かります。四番目の子は応神様です。玉依姫は四人の御子を生んでいます。神武様=応神様です。
数霊が伝える真実
古墳の直径です。「89m」は、いわゆる外堀を含めた径ですね。
わたしは以前から
89=ダビデ王家
56=天子
33=母なる神=イエス=天皇
と伝えています。
数直線で数霊を考えるとダビデ王家は、母である天皇と御子である天子から成る王家であるという事です。その事を伝えるために「円墳」にしたのです。「直径」で長さがはっきり伝えられるからです。
また外堀が「33」というのは御子を護る母を伝えています。この世の家族は皆、33の御子です。
木製のY
「石見型木製」と言われている物は「Y字木製御物」と命名した方がよいと思います。
「Y」はヘブライ語でのイエスの御名の頭文字です。またYはアルファベット順の「25」です。25はイエスの数霊と伝えています。「Yield」は「産む」と言う意味です。「Y」は母なる神を伝える文字です。
写真、二本のY字木製御物は「入口」を伝える御陵の「門柱」と考えられます。そこから円墳の天辺の方角は「聖方位」になっていると兄弟が伝えました。兄弟は地元で調べています。「聖方位」は天皇家の信仰です。
苅田町の石塚山古墳、糸島のこの二つの古墳、三つとも大和政権と深く関わりのあった王の古墳であったと、一般に推定されていますが、神武天皇=応神天皇の真実から、三つの古墳は大和政権の御親、天孫三代の御陵と発見されました。
朝鮮人との対決
朝鮮人との対決は日本の歴史についての対決です。「真剣」に対するという意味です。いい加減な説は許さないという事です。日本の王権は応神天皇の即位した年、361年に始まります。神武天皇即位の紀元前660年ではありません。明治以降の天皇家は間違った日本の歴史認識に基づいて成っています。草薙剣を持つ万世一系の天子であるわたしは明治以来の天皇家の土台を理性で破壊しました。「天子」としての務めです。
万世一系の天子ダビデ
893侠客天子ダビデ