救いの島徳之島に、十字のペテログラフ発見 | is6689のブログ

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 多くの岩に十字が刻まれています。・・・・・・・・これは自然にできたものでしょうか。・・・・・・・・・それとも、人の手で刻まれた、……文明の跡、ペテログラフでしょうか。ここは徳之島北端の神域、神川(かんぎょうグスク)です。昭和3年以降、「豊穀(ほうこく)神社」となっています。











         


 ここの神社では正月と八月の「水の兄(え)と水の弟(と)」に祭祀が行われていたと由来書にあります。上の画像参照。



 わたしは石上さんの助言と神の御導きと思われますが、8日(水の兄犬)と9日(水の弟亥)=七夕にここで祭祀を行いました。おそらく、わたし万世一系の天皇は、長く途絶えていた祭祀を復活させたと思われます。そのご褒美としてペテログラフ?の発見?


    十字の島

 岩に刻まれた十字、他にないものだろうかと思い、ネットに調べたら、・・・・・・・・ありました。『ペテログリフ ニューカレド二ア観光』に以下の記事がありました。

 「ペトログリフの発見者マリウス・アルシャポーロは、何千もの十字形のモチーフがニューカレドニアの岩を装飾している事から、この島を十字の島と名付けました。

 ・・・・・・・・・カティラモナ峠では、小川に沿った坂の約200メートルに及ぶ表面に3つのペテログリフの集まりが時の管理人としてそこに佇んでいます。」

 豊穀神社のペテログリフも小川に沿った坂の岩にあります。

  十字以外のペテログリフ















       十字の木



先天道の十字の木



神川グスク(豊穀神社)

の十字の木

 徳之島の北の神域、神川グスクの森と南の神域、先天道に、十字の木があります。先天道に十字の木が非常に多くあります。十字を刻んだ石は見つかっていません。



徳之島四聖地

 南:先天道 北:神川城(かんぎょうグスク)=豊穀神社 東:宮城(みやグスク) 西:犬の門蓋(いんのじょうふた)

 南北の聖地に共通するのは「十字のしるし」です。東西の聖地は断崖絶壁、眼下は海です。詳細は別途に。徳之島四つの聖地で十字の形をなしています。最近の発見です。わたしはこの四つの聖地で祭祀を行っています。おそらく超超古代文明期、この四つの聖地で祭祀が行われていたと思います。万世一系の天皇であるわたしはその祭祀を復活させたと思われます。



 青の図形は聖地を結ぶ直角二等辺三角形です。文明都市の跡です。徳之島は超古代文明期の都市であったと思われます。


 十字のペテログラフ


 豊穀神社境内の石に刻まれた十字の形、人の手の業でしょうか、自然のなせる業でしょうか。 


 徳之島を人類発祥の地エデン、超古代文明期ムーの都等と考えると、人の手の業です。人の手であるなら道具が必要です。鉄器が必要です。手々の近くにその痕跡があるでしょうか。

    金見(かなみ)

 手々の東隣の集落は「金見」です。鍛冶屋の集落です。「金見には『金山打ち』という鍛冶屋にちなんだ話がある。鍛冶屋の拝んでいる神は高神(こうかみ)だとして畏怖されている。」と、島尾敏雄・島尾ミホ・田畑英勝著『日本の伝説23 奄美の伝説』の96頁にあります。

 この書の著者たちは、手々の神川グスクの伝説を知らなかったようです。手々の所にグスクのことが記されていません。それが原因で鍛冶屋の拝んでいる神を「高神」と書いています。正しくは川神(こうかみ)です。「川」のことを島では「こう」と言います。揚子江の「こう」と同じです。手々の人たちは「こうかみ様」を拝んでいたと豊穀神社の由来書にあります。上の画像参照。手々と金見は隣どうしです。同じ神様を拝していたと考えるのが自然です。手々と金見の人たちは同じく、「こう神様」、神川グスクの神様を拝していた考えられます。そのグスクの石に十字の形が刻印されています。金見の人たちがつくった鉄器で刻印した、自然な推理です。したがって、豊穀神社境内の石に刻まれている十字は文明の跡となります。

     蘇鉄

 手々、金見一帯は蘇鉄の群生で有名です。蘇鉄の名の由来について、まさかとは思いますが、「蘇鉄」は「鉄の蘇り」を意味し、鉄を文明の象徴と考えて、ここにあった超古代文明が復活することを予見しての蘇鉄ではと。

    手々(ティティ)

 島言葉で「手」を「ティ」といいます。したがって「手々」の正しい発音は「ティティ」です。祈りに手はとても重要な役目をしています。ティティ集落は、その名前からも、とても神聖な集落であったと思われます。ティティの名は十字のペテログラフの存在を裏付けます。

 エジプトはツタンカーメンの義理の母、ネフェルティティ王妃のその名は、古代エジプト語で「やって来た美女」と聞きます。やって来た=ネフェル、美女=ティティとしたら、そしてティティを超古代期、人類が一つの言葉であったときの人類の言葉としたら、ティティ=手々=美女の等式が成立します。手々=美女に「神女」を感じます。エジプトのネフェルティティは神女、徳之島のティティ集落は神女の集落と連想が働きます。


万世一系の天皇

救う者ダビデの子孫

平安天皇ヨシュア

  勝信貴