南北朝の対立を終わらせる資料 | is6689のブログ

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   南北朝の対立

 中継ぎ天皇の定義

 「中継ぎ天皇」は皇位を父親から世襲してない、または兄弟から譲られてない帝です。皇位を分かりやすく言うと「家督」です。したがって、中継ぎ天皇とは家督としての皇位を得てない帝です。皇位を一時的に預かっている帝です。後醍醐天皇は花園天皇から皇位を継いでいます。系図資料から後醍醐天皇は花園天皇の兄弟でもなく、花園天皇は後醍醐天皇の父親でもないことは、明らかです。後醍醐天皇は「中継ぎ天皇」です。中継ぎ天皇の皇子に皇位継承権はありません。したがって、三種の神器を持つ資格はありません。神器をもっているから天皇ではありません。先帝の正当な跡継ぎゆえに天皇です。三種の神器は正当な跡継ぎの所有物です。神器を預かっていたにすぎなかった後醍醐天皇が、神器を返さなかったことは、誰がどう考えても、「窃盗」です。

 この道理がやっと理解できたのか、南朝の後亀山天皇が北朝の後小松天皇に神器を奉還して南北朝の対立は終わった、?????。

   後南朝

 南北朝の対立は終わっていませんでした。南朝正統を主張する勢力が水戸や長州に居ました。この勢力を「後南朝」といいます。教科書には出ていませんが、この存在を知らずして明治維新の真実は見えません。

 彼らは一体何を根拠に南朝正統を主張していたのでしょうか、・・・・・・・・・。

 上の系図資料を見てください。後小松天皇の次の帝、後花園天皇の横に「猶子」とあります。猶子とは自分の実際の子ではなく、形式的な子と言う意味です。後小松天皇の実子は称光天皇です。後小松天皇は第100代、称光天皇は101代、後花園天皇は102代の帝です。後花園天皇は伏見宮家の王です。王は天皇家の猶子となって、皇位を称光天皇から譲り受ける形で皇位についています。正当な北朝の帝です。合法的帝です。

 後南朝勢力は、この後花園天皇の正当性を認めていません。なぜ、???

 後花園天皇の御父は伏見宮家の当主貞成(さだふさ)親王ですが、実は親王は足利義満の御子でした。足利家は伏見宮家を密かに乗っ取っていたのです。・・・・・・・・・・。その証拠は上の系図資料にあります。後花園天皇の下を見てください。・・・・・・後陽成天皇がいます。後水尾天皇がいます。清和天皇の別名は水尾帝です。後水尾天皇=後清和天皇です。足利家は清和源氏です。清和天皇の子孫です。清和源氏は実は陽成天皇の子孫です。最近の学者が説いているところです。清和ー陽成天皇の子孫=清和源氏=陽成源氏です。後陽成天皇ー後水尾天皇の名は清和ー陽成天皇の子孫と言うことを伝えるしるしです。北朝の系図を遡って、そこに陽成天皇、清和天皇はいません。

 後南朝勢力は形式的には問題の無い後花園天皇に対して、「問題あり、臣下の者が皇位を盗み取った」などと主張してその正当性を否定していました。しかし、それだけでは、南朝の正当性は言えません。

 後南朝には「物」がありました。宇多ー醍醐天皇の皇統の正統を主張する物がありました。……、何でしょうか。先述しています。醍醐天皇が皇太子になるときに初めて歴史に現れた皇太子相伝の剣、壺切の剣です。藤原基経が宇多天皇に奉献した剣です。皇太子になれば天皇になるのは当然ですから、壺切り剣は三種の神器の一つ、草薙剣に代わる物です。なぜ、この時に、壺切り剣が現れた、必要となったのでしょうか、・・・・・・・・・。先述しています。

 皇太子相伝の剣を後南朝が持っていたということは、後花園天皇以降、長く立太子礼が行われてなかったことから窺い知ることができます。また、理論を裏付ける物証が無くて、他人を説得、動かすことは出来ません。水戸学からの南朝正統の声から、明治維新は始まっています。南朝正統説は後花園天皇以降の帝が、臣下である足利家の血筋であることと、宇多ー醍醐皇統の正統を証しする壺切り剣を持っていたことを根拠にしています。南朝勢力の思考はやはり、物が主になっています。壺切り剣を持つ資格を問わないで、自分がそれを持っているから、だから、自分は天皇、宇多ー醍醐天皇の皇統の正統だと主張しています。この考え方は根本的に間違いです。天皇の正統の問題は「家」で決まります。他人の家の物を盗んで自分が天皇と言うのは犯罪者の論理です。明治維新は犯罪者の論理で起きました。ゆえに美化して隠さなければならないのです。


   南北朝対立の終焉



 北朝の始祖は源氏から皇位についた第59代宇多天皇です。宇多天皇の御父は第58代光孝天皇です。先帝第57代陽成天皇は、光孝天皇にとって、孫にあたる世代の帝です。上の系図資料参照。天皇は「中継ぎ天皇」です。天皇は御父の仁明天皇から皇位を世襲しているのでもなく、その兄、文徳天皇から皇位を譲られてもいません。したがって、光孝天皇は中継ぎの帝です。北朝も、南朝と同じく、中継ぎ天皇の御子の系譜です。したがって、皇位につく資格はありません。南朝も北朝も天皇の正統ではありません。

 先述していますが、天皇の正統は、神の人類救済計画、聖書に記された預言の成就のため、隠されました。北朝の皇統は、万世一系の皇統、真実の天皇が隠れている間だけ、皇位にいることが許されています。「天皇親政」は許されていません。象徴に止まるべき皇統です。

 神の導きで真実の天皇、ダビデ王は墓から復活、預言は成就しました。イザヤ書11章参照。そして、「神の詔」を承け、皇位の奉還を宮内庁に「2014年までに」と要求しました。南朝は最初から、北朝の天皇は2015年から皇位にいる正当性はありません。現皇室は、北朝を偽る偽装天皇家ですが、不正に皇位に居座っています。

 天皇の正統は南朝でも北朝でもなく、第57代陽成天皇の皇孫、万世一系の皇統です。真実の天皇家は父ー子・父ー子・父ー・・・・・で家督、草薙剣が継承されてきた第57代陽成天皇の皇孫の家、すなわち清和源氏嫡流の家、源為朝子孫の家です。上の二つの系図資料から明白です。この資料で、天皇の正統をめぐっての南北朝の対立は終焉です。


 家紋は家の標識です。



24重ね日輪紋


 家宝は家格を示します。



墓から出た天叢雲剣


 万世一系の天皇家

イスラエルダビデの子孫

 平安天皇ヨシュア