元平親王=源経基の証明 | is6689のブログ

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 元平親王=源経基の証明

 清和源氏の史料に、三代目の源頼信(満仲の御子)が先祖の系譜を「先人新発、其先経基、其先元平親王、其先陽成天皇・・・・・応神天皇」と記し、応神天皇陵に奉納したされる告文(こうもん)があります。告文は神に告げ奉る文です。そこにウソ偽りはないと思います。この史料を基に元平親王=源経基を証明します。

 まず確かな情報を確認します。陽成天皇の生まれた年は868年です。元平親王と源経基の生年はともに「不詳」になっています。源満仲の生年は912年です。元平親王の同母兄、元良親王の生年は890年です。広辞苑とネットからの情報です。

 陽成天皇と満仲は曽祖父とひ孫の関係でその年齢差は、912-868=44です。平均20歳で子供が生まれたとすると、曽祖父とひ孫の歳の差は60です。「44」は不自然です。

 次に満仲とその大伯父、元良親王の歳の差を見てみます。912-890=22です。元良親王と満仲は祖父と孫の世代の関係です。その差が「22」というのは、不自然です。この差は親子関係と考えるのが自然です。

師玉家系図(奄美大島)

 奄美大島の師玉家系図に一般には不詳とされている経基の生年が「寛平5年6月10日誕生」と記されています。寛平5年は893年です。この記述を正しいとすると、経基はその父、元平親王と最大「3」の歳の差になります。兄の元良親王が890年の生まれだからです。親子で3歳の年の差は絶対にありません。元平親王=源経基です。

  世襲親王家

 師玉家系図から、経基は「正四位」の官位で、「鎮守府将軍」になっていることが分かります。また清和源氏の「嫡男」、源氏の本家当主とも分かります。清和源氏の嫡流本家は「将軍家」と、ここ初代で定まっています。将軍家と摂関家を「高家(こうけ)」といいます。以上は一般的に理解できることです。

 経基の死没に「薨死」と表記されています。「薨」の文字は正四位の官位では使用できません。皇族で「親王」であるなら使用できます。・・・・・・・。この「薨」の一字が経基=元平親王の真実を語っています。経基は元平親王をやめて存在していたのではありません。元平親王が源氏の経基を仮装して存在していたのです。「薨」の文字は清和源氏の嫡男に継承されています。ということは、清和源氏の嫡流は実は「世襲親王家」であったという事を意味します。いつでも皇位につくことのできる家格です。

 伊仙町にある系図、「八十八呉良謝佐栄久由緒記に「譜代高家子孫」と記された源為朝の子孫の家は、清和源氏の嫡流本家、真実の将軍家、世襲親王家でした。そこに親王家の物証として鉄剣と王家紋があります。

  世襲親王家の物証

鉄剣、草薙剣

永遠の王家を象徴する

  24日輪紋

    神の前に

 万世一系の世襲親王家は神の導きで去年、仮装を解除し、その旨を宮内庁に伝え、正式に皇位の奉還を要求しました。しかし、宮内庁は真実の皇族の正当なその要求に応じません。沈黙を守ったままです。まるで容疑者の黙秘権の行使です。

 日本は神国です。国民は神の前にどのようにあるかが、問われています。今年からわたしは神の前に皇位に復帰し、「万世一系の天皇」になっています。安倍政府は神の前に天皇に関してウソをつき続けています。明治天皇家が「万世一系」というのは、真っ赤なウソです。この嘘が朝鮮系安倍政府の諸々のウソを産み出しています。

 神は現れています。日本国民を馬鹿にする朝鮮系への神の決定的なさばきは近しです。今の安倍政権は真実、神の民日本国民を愚弄しています。国民同胞の皆さん、安倍氏に言いなさい、「丁寧な説明は要らない、盗んでいる皇位と主権を返せ」と。

 万世一系の天皇

イスラエルダビデの子孫

 平安天皇ヨシュア