歴史の大義 | is6689のブログ

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       歴史の大義

 平安時代、摂政藤原基経は「神の計画」から秘密裏に、仮装の皇統、宇多ー醍醐皇統をつくった。天皇の正統である万世一系の清和ー陽成皇統は清和源氏を仮装して隠れた。884年陽成天皇は藤原基経によって廃位させられた。893年宇多天皇は藤原基経から奉献されてあった剣を皇子、後の醍醐天皇に皇太子相伝の剣として授けた。これが東宮相伝の剣の初めである。その剣を「壺切の剣」という。

 室町時代、清和源氏傍流の足利義満は宇多ー醍醐皇統を偽の皇統と知り、「皇位を天皇の正統に還す」との大義から、自分の御子、義嗣を皇位につけようとしたが失敗。しかし、密かに御子貞成(さだふさ)が伏見宮家を乗っ取り皇位を奪還した。貞成親王の御子、後の後花園の天皇が北朝後小松天皇の猶子(ゆうし)として皇位についた。以後の天皇は北朝足利家の天皇である。足利義満の子孫である。

 幕末、皇太子相伝の剣をもって隠れ潜んでいた南朝後醍醐天皇の子孫こそ、天皇の正統であると水戸学が主張した。「皇位を天皇の正統に還す」との大義から尊皇維新運動が起きた。南朝の藩屏の家、熊本菊池家の子孫である西郷南洲の活躍等で、北朝孝明天皇家は倒れた。北朝の藩屏会津藩や新撰組等は戊辰戦争で敗れた。したがって、論理的に明治天皇は南朝である。ところが、明治政府は天皇を北朝孝明天皇の皇子として、万世一系の天皇が大日本帝国を統治すると宣言した。・・・唖然。皇位についた人は南朝の子孫ではなかった。□□□であった。□□□が南朝の子孫になりすまし、さらに北朝の子孫になりすまして明治天皇が出来ていた。維新の秘密である。足軽の子、伊藤博文の功績である。伊藤は初代首相、組閣4回、初代貴族院議長、初代枢密院議長、韓国総督府長官になっている。南朝の志士西郷南洲は裏切られた。「皇位を天皇の正統に還すべし」との密旨から尊王の志士西郷は、偽の朝廷に弓を引いた。西南戦争である。

 わたしは、藤原基経の遠き子孫である西郷南洲に導かれて天皇の正統は清和源氏の嫡流と知った。南海の源為朝が天皇の正統と知った。菊(日輪)の紋の彫られた、我が家の先祖の墓石の下に隠されていた鉄の剣は天皇の正統を証しする草薙剣・天叢雲剣と知った。そして、藤原基経に示されていた「神の計画」を知るに至った。ここ7年の発見である。

 世界全面戦争の危機を孕む国際状況の今、日本は皇位を天皇の正統に還しアメリカから独立して、隠されている神国日本を現し、戦争放棄を世界に実現すべきであるとの主張を抱くに至った。