長野市にある「善光寺」本堂は、皇極元年(642)の創建以来、十数回の火災に見舞われています。現在の本堂は宝永4年(1707)に再建されたもので、高さは26㍍あり、江戸時代中期を代表する仏教建築として、国宝に指定されています。

△善光寺本堂前 お数珠頂戴(この日は朝6時)
 △参道でのお数珠頂戴

善光寺の朝は、「お朝事」と呼ばれる朝の勤行で始まります。本堂での勤行の前後に参道では「お数珠頂戴」と呼ばれる、ご住職から参道に跪く信徒の頭を数珠でなでる光景がみられます。皆さんも是非功徳を授かってみてはいかがでしょうか。

△善光寺 本堂から山門を望む
 

JR長野駅から善光寺へ向かう参道「中央通り」は、旧北国街道で、江戸と金沢を結ぶ重要なルートでした。江戸時代よりこの北国街道沿いの善光寺大門前付近には、旅籠が建ち並んでいて、現在も本陣であった「藤屋旅館」と脇本陣の「五明館」が残されています。

「遠くとも一度は詣れ善光寺」  明治21年5月1日、信越本線の長野駅が開設されると、全国から参詣客が押し寄せます。長野駅と善光寺を結ぶ中央通りの交通量が増えた結果、市民から道路の拡幅要望が沸き起こりました。このため、大正12年、中央通りの拡幅工事が始まり、翌大正13年12月に現在の姿になりました。

△絵葉書 長野名勝 中央通(昭和5年刊)

△左手が藤屋旅館

 

中央通の末端、善光寺門前にある「藤屋旅館」の創業は正保5年(1648)で、江戸時代には北国街道善光寺宿のなかにして、加賀藩の参勤交代の定宿「御本陣」として栄えたそうです。それ以降も、皇族や福沢諭吉、伊藤博文など時代の名士らが宿泊し、善光寺参道のシンボルとして、多くの人をもてなしてきました。

 
 
△御本陣 藤屋旅館(右から左へ)
 

このアールデコ調の建物は、大正15年(1925)に善光寺仁王門を手掛けた宮大工の手によって建てられました。当時としては斬新な三階建てで、大正時代に花咲いた擬洋風建築と明治時代の数寄屋造りが混在する建物は、長野市で初めて国の登録有形文化財に指定されています。

平成18年(2006)には、結婚式場やイタリアンレストランとして、リノベーションされています。 

 

△絵葉書 信州善光寺 五明館
△善光寺郵便局

 

また、脇本陣の「五明館」は、現在、善光寺郵便局として利用されています。建設は昭和7年で、和風旅館として多くの旅人や御開帳参詣者を迎えてきました。五明館は昭和61年に旅館としての営業を終え、その後はレストランのみになりました(レストランも平成23年に閉業)。

その後、善光寺郵便局は向かいにあるレンガ造りの旧局舎から移転し、昭和62年11月16日から郵便局として営業を行っています。

 


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