平成27年3月、北陸新幹線の金沢延伸に伴い、在来線飯山駅を移設し、新「飯山駅」が誕生しました。構造は高さ約25mの3階建て。2階に新幹線と在来線の改札口が、在来線ホームは1階、新幹線ホームは3階にあります。
飯山駅構内には、信越自然郷アクティビティセンター、コンビニ、飲食店も入り、旅行者にとって利便性の高い駅舎となり、観光客に向けたバス・タクシーなどの連絡機能の充実が図られています。
JR飯山線は、信越線豊野駅と上越線越後川口駅を結ぶ全長96.7㌔の路線です。列車の発着は長野駅で、豊野までは信越線を走り、分岐後は千曲川沿いを走り飯山駅に至ります。さらに進むと越後川口駅に到着します。
その歴史は、大正6年に豊野・飯山を結ぶ「飯山鉄道株式会社」として設立されますが、第一次世界大戦の影響で工費が高騰、着工が危ぶまれる事態に陥りました。そこに「信越電力株式会社」が計画を進めていた水力発電所の工事資機材の運搬に利用するため資本参加して、「飯山鉄道」の着工と西大滝までの延長が決まります。そしてついに大正10年10月、豊野・飯山間が開通しました。絵葉書は、「飯山停車場」開業記念として発行されたもの。
五嶋慶太は、鉄道院に官吏として勤務した頃、北信地方の交通網整備のため飯山鉄道の敷設認可に尽力、のちに運輸通信大臣として同社を国有化して国鉄飯山線するなど、これら多くの功績を記念して、飯山駅前に建てられたものです。いつまでも大切に保存してください。
■この碑は、飯山線の前身であった飯山鉄道株式会社 豊野 飯山間敷設の認可申請に際して、蔭で援助の力を尽くされた五嶋慶太氏の恩顧を顕彰するために、会社設立関係者を代表して、牧野長蔵氏等が昭和35年8月建立したものである。
■明治末期から大正初期の頃は、全国的に私設鉄道の敷設が盛んに計画され、当北信地方でも数社の鉄道敷設が計画された。しかしそのいずれもが認可されなかった。
■こういう厳しい状況の中で、飯山鉄道 豊野 飯山間の敷設が大正6年2月申請され、多くの私設鉄道が却下されていく中、飯山鉄道は同年5月に認可されたのであった。
■この認可については、当時宮城県知事であった飯山町出身の寺田裕之の斡旋によって、鉄道院監督課長・五嶋慶太の多大な尽力があったと云われている。
■飯山鉄道は、大正10年10月20日 豊野 飯山間が開業され、その後逐次延長されて、昭和4年9月1日十日町まで全通した。
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