愛知県奥三河地方には、「新城のナイヤガラ」と呼ばれ、流水が100メートルも続く美しい風景があります。

△絵葉書 豊橋電気  長篠発電所 竣工記念
△中部電力 長篠発電所 長篠堰堤
 
ちょっと話は長くなりますが、愛知県豊橋町(現在の豊橋市)では、明治26年、豊橋商業会議所を中心に電燈設立気運が高まり、「豊橋電燈」が資本金1万5000円で創立されました。全国で14番目でありました。豊橋電燈は、明治39年に社名を「豊橋電気」へ改称し、電源の強化を図ります。明治42年に宝飯郡下地町(豊橋市)に「下地火力発電所」を新設。さらに南設楽郡長篠村(新城市)の寒狭川に「長篠水力発電所(出力500kW)」を計画、明治45年2月20日に竣工しています。
△寒狭川を堰き止めている「長篠堰堤」
△100メートル続く「長篠堰堤余水吐」
△まるでナイヤガラのよう
△長篠堰堤余水吐(新城市横川倉木)
 
この長篠発電所では寒狭川を堰き止めた堰堤(ダム)脇に、長篠堰堤余水吐を設置していますが、幅が100mほどあり、この余水路から水がこぼれ落ちる様子が大変に美しいことから「新城のナイヤガラの滝」と呼ばれています。大分県の白水溜池堰堤、秋田県の藤倉水源地堰堤とともに「日本三大美堰堤」のひとつに数えられるそうですが。
 
また、あたり一帯は「寒狭峡」と呼ばれていて、多くの鮎が川を登りますが、発電所近くには鮎滝と呼ばれる滝があり、鮎が滝を跳躍する姿が見られるそうです。ということで、少し季節外れですが、発電所前の食堂で「鮎+自然薯定食」を戴きました。
△鮎+自然薯定食(寿恵広食堂)
 
さて、大河ドラマ「どうする家康」で盛り上がっている三河地方ですが「長篠城址」が発電所近くにあります。このお城は寒狭川と宇連川との合流点近くの段丘にあり要害の地を占め、信濃・三河間の重要な戦略拠点でありました。
△長篠城 本丸跡
△長篠城址(新城市長篠市場)
 
天正元年(1573)には、徳川家康が武田軍の来襲に備えて奥平貞昌らを城代に任命。天正3年(1575)武田勝頼が1万5千の兵を率いてこの城を囲んだため、織田信長・徳川家康の連合軍3万8千人がこれに応戦して衝突したのが「長篠の戦い」でした。濠および防塁の一部は今も残存しています。大河ドラマの影響で、多くの観光客で賑わっていました。
 
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