大浜港(愛知県碧南市)は南北朝の頃から海運の要衝として栄え始め、三河湾随一の港となっていきます。この港を抱える「大浜町」は、江戸時代初期から味噌たまり醸造が始まり、一時は仕込み桶の規模では日本一とまで言われたそうです。現在も九重味淋などの醸造蔵に囲まれた黒壁の小径を散策できます。また九重味淋では敷地内を見学し、みりんを使ったランチも楽しめます。
この大浜町には、臨海部が埋め立てられるまで白砂青松の海岸がありました。大正3年に三河鉄道(現名鉄三河線)が大浜港停車場(碧南駅)まで開通すると、同年に「新須磨海水浴場」が、翌年には「玉津浦海水浴場」がそれぞれ開設され、さらに「新明石海水浴場」が加わり、多くの海水浴客で賑わいました。
しかし昭和34年の伊勢湾台風襲来により、護岸工事が行われ、昭和39年の衣浦港起工による工業地帯の造成により、海水浴場は姿を消します。
△大浜熊野神社(愛知県碧南市宮町5丁目)
「大浜熊野神社」の創建は仁安3年(1168年)。大正から昭和初期には、神社前の「玉津浦海岸」で海水浴をする人々の休憩地として大変にぎわいました。現在も境内には広い松林が広がっていますが、この松林はかつてはそのまま目の前の海水浴場に繋がっていました。
昭和30年代中頃まで海水浴場だった「玉津浦海岸」の共同シャワーが大浜熊野大神社の松林の中にぽつんと残っていました。 白砂青松の誉れ高い玉津浦海岸が埋め立てにより消え、当時を偲ぶものはこのビーナス像を戴く共同シャワーのみとなりました。子供たちは海から上がるとここで体を洗い、海岸通り沿いに建ち並ぶ休憩所、売店でかき氷やラムネ、蜜柑水を飲むのが楽しみだったそうです。
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