2969

 昨日はうまくブログのアップができた。前日のはどうしてなのか未だに分からない。で、時間は待ってくれない。ぐずぐずしていたら過去へとどんどん取り残されてしまう。この宇宙は絶対に前にしか進まないのだから。2967号(3/18)の概略。新たにできたカンバンの内容は、「若者よ、少々の挫折くらいで人生を棒に振るな!。 君は、君の運命の支配者であ




り、君の魂の指揮官なのだから。 ネルソン・マンデラは27年間も牢獄に繋がれしも、南アフリカの大統領となり、国を変えていったではないか。彼はこの言葉を励みに生き抜いたのだ」 「きづかないだけなのだよ! チャンスは足元にゴロゴロ転がっていることを。 出会え、学べ、覚悟を決めたときに人生は必ず拓ける」 ビジネスマンのための寺子屋塾・めだかの楽幸



いつの時代でもそうだが、大人たちは、「今の若いモンは・・」とか「もっと夢や希望を持て・・」なんて平気で言って自己満足している。では、「俺が身を以て教えてやるから着いてこい!」というような大人が何人いる??? 口先だけなら政治家と同じじゃないか。批判するんだったら、まずは己が率先垂範してからにして欲しいよね。居酒屋でぐつぐつ不平不満、悪




口文句を言っている暇があったら、ちょっと前向きな本を買って読むなり、感動したら身近な人に伝えてあげるだけでも立派な社会貢献だ。安岡正篤先生の「一燈照隅・萬燈照国伝教大師の「一隅を照らす」生き方は誰でもできる簡単なことだ。やろうと思えば・・・ただし、「継続は力なり」で、続けなければその光は生まれてこない。「やろう」とするか、「無理だ」と最初から諦めてかかるか・・・年齢なんて関係ない。意志さえあれば・・・


2968

みんな東京へ身も心も向いている。選挙の度に「地域の活性化を」と声高に叫びまくっているが、その度にどんどん地方は衰退しシャッター通りに。仕事が無くなるから「東京さ出で行くべ・・」と人口流失が止まらない。東京へ出て行ったところで「生き馬の目を抜く」過等競争に晒され、敗者になれば薬物に溺れて我を紛らわし敗北者へと転がり落ちる・・・「



とかせんかい!」と叫びたくなるが、何十年たっても口先だけで、結果はご覧の通り。嘆かわしいが人身は乱れ三流国へと成り下がってしまった。この現実を誰も憂えて行動しない。結果が出ていないのだから何もやっていないのと同じだ。反論できる政治家がいたら面と向かって反論してほしい。すべては「結果責任」であろう。「いやあ、この国の国民は



誇り高き民族で、みんなが助け合い幸せ度は世界でも誇れるほどまでになりました」と言えますか?特に若者にとっては有史以来の悲惨な時代だ。戦前は「お国のために」と命をかけて戦う目標があった。戦後は、原爆を投下され焦土化された敗北の中から明日に向かって立ち上がってきた。闇市でマンゴロを吸いながらも「今に見ておれ・・・」と闘志むき出




しで這い上がってきた若者たち。では、今は何を目標に向かって生きていけばいい。とにかく危ない橋は渡らない。石橋を叩いても渡らない、それほど社会の幅が狭くなっている。しかし、いつの世も若者がこの国の未来を背負って立つ大事な柱であったはず。国家の宝物である。その若者が結婚もできない社会で、どうして「夢を持て」なんて・・・

161718日のありがとうございます122001110012100回。MYCafe昭和の時代


2966

 昨日も朝から分刻みの忙しさだった。特に午前中は、28日(土)すずめの楽幸の選曲、原稿作り、それからまた「駐車場の管理をお願いしたい」という電話が入り、息子と現地視察。まあ朝から何ともありがたいことです。感謝、感謝です。それから、カンバン屋さんが「出来上がったのでどこに付けたらいいか指示してください」と言うことで「昭和の時代」へ飛ん



でいく。大幅にやり変えたのでまたまたの大出費だ。私も好きだね!!。ちょっと昼食に帰っていたら、絵画展の初日と言うこともあって出展者の末廣章さんとお弟子さんたちが来られていて大家さんが対応してくれていた。「館長、遅いじゃありませんか・・」「すみません。超わがままな店なんで・・・」。お互い笑いながらの会話です。NHKKBC、福岡県知事賞、



北九州市長賞など数々の受賞など大作がずらり。プロナンバーも取得されている末廣画伯。しかしながらとても人柄がいい。我々のすずめの楽幸(うたごえにも殆ど参加してくださり、優しい笑顔で語りかけてくる。そうこうしていると、筑前琵琶の山口旭江先生が「森鴎外の会」のメンバー6人と連れだって来られた。何と元大学の学長さんまで。東京から来ら




れたという。「私、九州歯科大学にも6年間勤めていましたからこの辺はとても詳しいんです」と、親しげにお話しされる。全く格式張らず穏やかな人柄だ。何とあろう事か?、絵画の話しから中村天風先生の話になり、天風先生の話で大いに盛り上がる。仲間の女性が結構詳しくていろいろ説明されている。「いやあ、私一生の不覚です。こんな素晴らしい先覚者がいたとは全くお恥ずかしい。しっかり学びます」と、法律学者でもある元学長謙虚なお方だ。



2965

 昨日は南区の娘の家に「真宝の水素水6本を持って行った。孫が卒園し、ピカピカの一年生になる。絵本の読み聞かせ、その道40年のベテランの方の推奨本と、おいたんからのプレゼントを手渡した。歯抜けばあさんになって、真っ黒に日焼けして元気に育っている。これ程嬉しいことはない。わーい、わーい。その足で「ふくろうの森」さんへ。何と合馬の新竹



の子を頂いた。縁起がいいぞ、初物だ。柔らかくておいしかった。わーい、わーい。今日から「末廣章画伯絵画展」が始まる。土曜日午後「真宝の水素水」の配達で外出中に、お弟子さんたちが運び込み、きれいに飾り付けを済ませコーヒーを飲まれているところだった。家内もびっくりして「わぁー、素晴らしい。どれも素敵ですね。店内がパット栄えますね」と。



末廣さんが私のことを「館長さん、これでいいでしょうか?」と。おお、館長?!・・わーい、わーい!!。お客様が、一年ぶりの検診で血糖値が下がって正常になっていたと言うことでとても喜んで報告に来られた。「これからも飲み続けます」とニコニコ顔。わーい、わーい!!。 嬉しいですね。「流れゆく雲」の宮崎さんの講演が決まった。やったー!。北九州文




化懇話会馬渡さんにお願いしていたところ、何とかスケジュールを取ってくださり、423日(木)午後6より毎日会館で講演することとなった。わーい、わーい!!。この会は、終戦後間もない頃から作家・岩下俊作、劉寒吉などが北九州の文化向上のために立ち上げた品位の高い歴史ある団体であり、ここで講演できることは光栄この上ない。人生のありのままに語っていただくだけで、聞かれた方々もきっと感動してくださると思う。

12131415日のありがとうございます1030011700189007600回。昭和の時代


2964

 「難事は良いこと」。昨日の朝、9時前に仲介したお客様のマンションの階下に水濡れ事故があったようで、そのことで取り急ぎ階下の方へ電話を入れたらえらい剣幕で怒られ、朝から腹がむしゃくしゃしていたが、「難事はいいこと」と何度も何度も言い聞かせながら気持ちを落ち着けていた。南区にリフォームの見積もりがあったので車の中でもしきりと「



事はいいこと」を呟いたり、「ありがとうございます」を唱えながら車を飛ばしていた。くみ取り式のトイレから水洗にしたいとのお話だったが、だんだんと話しが広がり炊事場のリフォーム、お風呂の工事までと、結構な工事になりそうだ。いやあ、ホント、まあ、「難事はいいこと」です。早く素直に気持ちを切り替えて心を落ち着かせることの大切さをまた


また経験させられました。天風先生は、「生きている以上、あらゆる難題が降りかかって来るが、一々相手をしていたら身が持たない。そんな時サッと身をかわす術を身につけていたら争いにもならない。それが人生がうまく行くコツ。 例えば新幹線が猛スピードで突っ込んでくる。じっと立っていたら跳ね飛ばされてしまいあの世生きだが、ちょっと身をかわすだけで新幹




線は通り抜けていく。それと同じです」とおっしゃっている。3時には、畑山さんのお客様が水素水生成器の契約に来られた。その社長さん、「このお店に通い出して、とても運が良くなって感謝しています。中村天風先生のご本も改めて読んでいます。やっぱり凄い方ですね」と。嬉しいですね。「それからカイチョウの名刺には快腸と書かれていますね。先日、テレビで腸内細菌のことをやってましたが、腸が元気になれば殆どの病気が良くなると。それで  ですか?。先を行ってますね」と褒められ、千島学説の説明をちょっとだけさせて貰った。


2963

 まあ、酒の席でもありツイ口を突いて出てしまったのだろう。そのようなことを言われる私に絶対に非がないかと言えば嘘になる。知らず知らずのうちに人の心を傷つけていることは沢山あるだろう。「もっともっと謙虚になりなさい」という天からの啓示と受け止め精進していかなければ。・・・そんな思いで翌日11日の日曜日、家内とふくろうの森さんでコ



ーヒーを飲んでいたら「車がぶつかったのですぐ来てくれ」と電話が入る。お隣のギャラーZOOさんと道を挟んでの古家に車が突っ込んで立ち往生していた。で、ここからが件の問題だ。「難事はよいこと」である。。極めて嫌なことがあった翌日。「まあ、いいか・・」と欽ちゃんの教えを素直に遵守したおかげなのか、確かに事故は当事者にとっては大変である



が、ある意味ではきれいに修復されるのだから「不幸中の幸い」でもある。で、私はと言うと、お隣の補修工事一式は大家さんが「山下さんに全部任せます」と言って下さり仕事を受注したことになる。しかも、である。古家の臨時補修並びに正式な工事(結局解体することに)の受注も、たまたま持ち主が私のことを良く知っていて、「山下さんなら安心して




お任せできます」と、これも受注。そして、なんと何とその土地を売却することとなり、その売却の依頼も受けるという、まさに「難事はよいこと」をそっくり体験させて貰った。更にオマケ、南区から清水さん沢山の手料理を携えて完成祝いに駆けつけてくれ、おいしい日本酒などをみんなでワイワイ頂いた。丁度丸二ヶ月後のことである。天風先生や一人さん、そして欽ちゃんの言われるとおり素直に「ぐっと堪える」ことの大切さを教わった。



2962

 ちょっと前だったが、神塚君がFBにこんな記事を投稿していた。「今日は嫌なことがあって気分が滅入っていたが、夕方に経営者から褒められ心が晴れた。やっぱり悪いことの後は必ず良いことがある。これを信じて明るく前向きに行こう」と言った感じだった。110日(土)夜も10時近くなって電話が入る。(10時には床に入っている)「あんたのことを詐欺



師というので私は悔しくて、“絶対山下はそんな人間じゃない“と信じてる・・・」と何度も何度も如何にも悔しい感じでいうKさん。大分酔っているようだったが、こちらにしても青天の霹靂だ。生まれてこの方、沢山騙されてきたが、詐欺師なんて言われたこともないし、身に覚えもない。頭に血が上って「ちょっとその男と代わって。話しをするから」と言うが、「




は代われないんよ・・・」。後から聞いた話ではトイレから電話をしていたので交われないはずだ。15分くらいは話していた。昔の私だったら車をぶっ飛ばしていって、その男を怒鳴りつけていただろう。下手をすりゃあ暴力沙汰になっていたかも知れない。悔しくて、悔しくて、横にあった日本酒がグイグイいってしまう。しかし、「そうか。斉藤一人さんだって





宗教家だとか詐欺師だとかいろいろ言われているが歯牙にも掛けない。あの天風先生でさえ”人斬り天風“と揶揄されたり非難されていたじゃないか。天風先生の弟子(勝手に)として、今怒っちゃいけない。萩本欽ちゃんの”悪いときほど運がたまる“じゃないが、ここでぐっと堪えて”忘れる、忘れる“でいこう。」こんなことを言い聞かせて床に就いた。眠れないが、何度も何度も同じことを言い聞かせてやっと眠りに就いた。堀木先生の忘れるは和するに通ずる。

910日のありがとうございます9700回、14900回。 ギャラリー&ライブCafé昭和の時代



2961

 昨日、電話が入り「レコードを聴かせてほしい」と言うことで、12時には掃除を済ませお待ちしていた。二人連れの男性、何と私と同い年の昭和23年生まれという。一人は千葉県からで、八幡西区のこの友人とは中学時代からのポン友という。音楽が好きで、ポール・マッカートニーの公演に連れ立って東京まで行ったそうだが病で公演中止。持参されたレコー



ドはディスクジョッキーつきのオールディーズ全盛期の懐かしい曲ばかり。悲しき雨音、スキヤキ、ミスターベース・マン、パフなどなど。コーヒーを飲みながら懐かしい音楽で話が盛り上がる。「こうしてお互いに66年間も元気でいられることに感謝しよう。また必ず来ますからね」と言って、次の目的地へ立って行かれた。こういう出会いが一番嬉しいね。



・・・昨日のつづき あんさんは嫌がったが、無理矢理タオルに石鹸をつけて擦った。昔の鶴の背中は丸くてつるつるしていたが、小さくなりゴツゴツして少し右に曲がっているのに驚いた。少しずつ脊椎が曲がる病に罹っているらしい。そのうちに、あんさんは黙ってしまい、クッ、クッと肩を揺すって泣き出した。あんさん、長いこと苦労させて済まなんだ。金婚祝いも、「勿体




ない。そんな金があったら孫に小遣いでもやってほしい」と断られて何もできなかった。二人とも八十を超えた。もうそんなこと言わんと、遅れ金婚祝いにいっぺん温泉でも行こうな。あんさんを上座に据えて、お詫びの酌をさせてくれ。 何とも夫婦仲のいいこと。どんな優秀な作家でもこれだけの文章は書けまい。この思いやりの心に、キーボードを叩きながら涙が嗚咽に変わり、しばらく手が動かなくなってしまった。大いに反省させられました。


2960

 「レクサス星ヶ丘の奇跡」の著者・志賀内康弘さんの「プチ紳士からの手紙」第97号に感動の記事が出ていた。もちろん毎回感動の記事ばかりを集めているのだが・・・そして、渾身の力を込めて書き上げたこの「レクサス星ヶ丘の奇跡」は、真に読み応えのある素晴らしい出来映えで、特にビジネスマンにとっては身につまされる教則本でもある。



あんさんへ 京都市 奥田登さん(85才)

嫁さんに来てくれる人がなくて困っていたとき、奇特にもあんさんが人助けと思って、隣村から村人に大八車に乗せられてきてくれた。角隠しをして白無垢姿で雨漏りのする草屋に入ってくれたときには、泥田に鶴が舞い降りたような異様な光景だった。 あれから55年になる。私は大阪で勤めていたので、すぐに大阪の下町で四畳半の間借り生活が始まった。押し入れのない



部屋だったので、近所の果物屋さんからみかん箱二つ貰ってきて横にして重ね、上の箱には茶わんや皿を下の箱には鍋や釜を入れて、その上に布団を積んだ。濡れ縁の先を建て増ししたトタン屋根の部屋だったので、雨が降ると凄い音がした。その屋根の下で、あんさんはビニールの紙貼りの内職をして助けてくれた。貧乏暮らしを長い間させて、やっと社宅に住めるようにな



った。子供二人も巣立っていき、定年になって何とか戸建てに入れるようになり二人暮らしになった。第二の勤めも10年させて貰って、年金保険を50年掛けたので、今後はこれで何とかいけそうや。あんさん、長いこと気張ってくれてありがとう。もうええさかい楽にしてくれ。 この間、戯れで風呂であんさんの背中を流した。 ・・・・・ 編集しきれないので明日へ続く

678日のありがとうございます154001740013300回。 MYライブCafe昭和の時代



2959

 昨日のめだかの楽幸37才の青年が参加してくれた。これからの時代は若い人たちがこの困難な社会を担っていかなければならない。さすれば、「どう生きたらいいか」が若者たちが一番関心を寄せなければならない問題である。がしかし、現状は格差社会が進み、正規社員と非正規社員の構図の中で必死にもがき苦しみ、ゆっくり考える余裕がないのが現



実であろう。でも、「そうでない生き方もある」というお話をさせて貰った。元リッツカールトンホテルの日本支店長の高野登さんのお話の中に、「おもてなしの語源は、聖徳太子の“和をもって尊しとなす”から来ている。このもって、と、なす、で、もてなすとなっていった」と。要するに何を以て何を成すのか? 自分自身に深く問い詰め、自分にしかできない「



もてなし」「ホスピタリティ」そして、「ギブ&ギブ」をやり続けていたら必ずや道は開けてきてそれが天職となって大きく羽ばたき人生を謳歌できる、ということをもっともっと多くの若者たちに知って貰いたい。「プチ紳士からの手紙」や「みやざき中央新聞」の記事などを見ていると、間違いなくその人たちは競争社会と違った世界で羽ばたいていることが分



かる。今は情報が氾濫しすぎていて、しかし多くの人は新聞やテレビだけの情報を後生大事に握りしめ「ダメだ、もう無理だ。夢も希望もない・・」なんて嘆いているのが現状じゃないのだろうか。いくら格差社会であろうとも、そこにはにんげん(・・・・)と言う生き物が存在する以上、絶対に「こころ」がある。他人様の「こころ」を打つことをやり続けていたら必ずチャンスは巡ってくる。それを信じてやっている人間だけが天から、・・・つづく

345日のありがとうございます12700回、11700回、8300回。 Cafe昭和の時代