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 やっと今朝、梅干し入りのドロドロに煮込んだお粥さんを食べた。一昨日の昼頃からだんだんとお腹の調子が悪くなり、夕方には動悸がしてきて吐き氣がし大量に戻した。夜中も下痢と嘔吐が続いた。昨日は仕事ができないかと思ったくらいだが、さすが「真宝の水素水」のおかげで苦しいながらもちゃんと朝の掃除もやって、一日中仕事。しかも夜は「



だかの楽幸」も何とかこなしました。ところが家内も同じ症状で苦しんでいる。息子は病院に行けと言うが、「絶対大丈夫」という信念がある。よく考えてみると、その前日小倉城のお花見に行って缶ビールと熱燗を飲んで、日頃食べることはないイカの垂れ焼きを食べたのがいけなかったのだろう。完全な食あたりだ。下手をすると救急車ものだったが、運良くこれで済んでよかった。護られているね、ありがたい、ありがたい、ありがとうございます



お目出度い話。塾生であり、女流画家の今井京子さんが329日誕生日に結婚入籍されたとの由。これも何かのご縁だろうか?、先日からの「生命の花」「慟哭の雨」に「開聞岳」が出てきたが、お祝いに彼女の作品「開聞岳」を買わせてもらった。なかなか鹿児島へ行かれないのでこの絵を見て母の古里を偲ぼうか・・・「桜島」のオマケがついてきた。ラッ




キー、ツイテル、ついてる。さて本題だが、もう紙面がない・・・塾生の田代さんが、何と健康講座を。視力回復訓練法なる素晴らしいお話。皆さん真剣に聞きながら指導に合わせて練習を。できた、できた」「まだ全然できない」「わあー、スゴイ。浮かんで見えるよなどと歓声が上がる。視力005だったのが07まで自力で回復したと言うからスゴイですよね。やる価値十二分にあり。今朝も食事時やってみました。後は継続は力なり

12日のありがとうございます116005700回。 MYギャラリーライブCafé昭和の時代

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司平さんの「生命の花」は何度聞いても涙が出るが、その知覧の特攻隊員の一員でもあった郷田豊先生がこのような詩を残してくださっている。「慟哭の雨」先生独自の割り箸筆で書かれたこの詩は、またその戦争の悲惨さを彷彿させる。この「慟哭の雨」を16年前に全面改装したときからトイレに貼っている。もうすっかり赤茶けている。


慟哭の雨 

雨の降りしきる知覧に立った 高原をはしり抜ける一本の道路松並木と台地一面の茶畑は 一瞬私を戸惑わせる これが あの知覧特攻基地だったのか 眼をもあけられない 豪雨のためではない   昭和二十年 特攻機が沖縄に向かって 東の空の白むころ 爆音残して 開聞岳の南にきえていったこと  豪雨は続く 絶えることなく それは特攻隊員の慟哭ではないか 生き残りの戦友や家族によって たてられた墓碑は もろに豪雨をあび 不動の姿勢で立っている 豪雨は慟哭なのだ 




郷田先生16才で少年飛行兵に志願され、各地で訓練の後、知覧での出撃を待っておられた。もちろん知覧基地でもアメリカの容赦ない攻撃は日ごとに激しさを増していった。敵機の空襲で走って逃げていたそのとき、ばたりと倒れ込み襲撃を避けた。そして、敵機が過ぎ去ったので、起き上がると共に逃げていた横の戦友は既に帰らぬ人となっていた。




先生は、とうとう出撃することなく終戦を迎えたが、多くの戦友たちが海の藻屑と散っていったその悔しさをこの詩に託して綴られたのである。戦後は夜間学校などに通いながら教職のお仕事につかれ終生人間教育に力を入れられた。



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 昨日の午後からお天気は下り坂。夕方には小雨ぽつりぽつりと降り出したが、「思い立ったが吉日」、家内とタクシーを飛ばして小倉城の夜桜を観に行った。小倉城の夜桜は初めてだ。屋台のお兄ちゃんたちも雨で心なしかしょぼくれていた。稼ぎ時だもんね・・・冷やっこい缶ビールを飲みながら、司平さんの「生命の花」の♪桜の枝を振り、見送る乙女たち・・・




と言う下りがよぎり、開聞岳を後に死出の特攻に旅立った若者たちとそれを見送る人たちの心情に思いを致すと熱く胸に迫ってくる。こうしてみんながお花見を楽しめるのも「平和」のおかげである。決して、絶対に、誰がなんと言おうと、どんな正当な事由があろうとも、ちょこっとだけでも戦争に加担してはいけない。絶対に、絶対に、絶対に・・・



梅原司平さんの「いのちの花」 語り 石灯籠の坂道を子供たちが駆けていく・・・・

 ♪♪ 野に咲く花を見よ あれは生命の花 遙か海の向こうから 流れ着いた生命 千三十六の 男たちの翼 叶うはずの夢も明日も すべて海に消えた 生まれ変われるなら たとえ虫になっても まして花になれるなら 古里の野の花に 




語り 彼らは決して英雄ではなかった・・・♪♪ 桜の枝を振り 見送る乙女たち 母と妻と娘たちと 残された想い出 戦の中の愛 わずか二十歳の日々 続くはずの恋の手紙 それも海に消えた 生まれ変われるなら たとえ虫になっても まして花になれるなら 古里の野の花に 語り この世に生を受けた すべての命のなすべきことは・・・・・・ 

♪♪ 生まれ変われるなら たとえ虫になっても まして花になれるなら 古里の野の花に

3031日のありがとうございます12,00015,400回。合計396,500回 累計40,440,200


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またあるものは、後添えの母に一度もお母さんと呼んだことがなかったので、最後に、お母さん、お母さん、おかあさんとよんだ。・・・彼らは決して英雄ではなかった・・彼らは海の藻屑となって消えたのだ。イヤ、海の藻屑となって生きたのだ。そして打ち寄せる波は彼らの平和への願いだ・・・♪♪】 若き日本の侍たちが、自らの命を張って日本の平和のために、開聞岳を背に



して沖縄へと飛び立っていった。彼たちの願いはたった一つ、決して二度と再び戦争という愚かを冒して欲しくない」それだけだったと思う。日本の為政者たちにこのことを今再びしっかり思い定めてもらいたい。幸いにも私たちは「戦争」という悲劇を体験していない。有史以来極めて希なる平和な時代を体験させて貰っている。しかし、これが当たり前



ではないと言うことを歴史が証明しているし、今現在も世界各地で悲惨な戦争や殺戮が繰り広げられている。それに日本も加担できる体制が着々と進んでいることに戦慄を覚える。私は戦後の23年生まれである。戦争体験はないが、その傷跡というようなものを味わってきた。進駐軍がチューインガムを噛み噛みジープに乗って疾駆している光景をよく目




にした。母や近所のおじさんたちから、爆撃で逃げまどう恐怖の体験談。戦後の食糧難で買い出しに行って警察から捕まったことなど、沢山のたくさんの経験を聴かせてもらった。しかし、今現在、我が子を初めそのような体験を語る機会もなくなって「戦争」の恐怖、非人道的な行為などが実感できないでいることは、ある意味では不幸な社会でもある。



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 28日土曜日のうたごえは、毎回そうだが丁度お花見シーズンで、土曜日と言うこともあり参加者が少ない。余程歌が好きでないと優先順位は後れを取るのは仕方のないこと。「もしも自分だったら・・・」と考えてしまうが、それでも皆さん良く来てくださる。本当にありがたい。出会いとはふしぎである。田村君が友達を誘ってくれた。それがなんと何と、




名司会の吉持君と常連さんの畑山さんとそのTさんが中学校時代の同期生という。Tさん曰く、「50年ぶりに同期生に会うことができ人生が変わった氣がします。これからも参加しますのでよろしくお願いします」と嬉しそうに挨拶された。いやあ、本当にふしぎだね。 今年は、戦後70という極めて重大な一年である。平和への祈りを込めて独断と偏見で梅原



司平さんの「生命(いのち)の花」のDVD鑑賞をすることに。司平さんのこの歌はまさに名曲中の名曲だ。一人でも多くの人に聴いてもらいたい。1945年戦争末期。鹿児島県知覧から沖縄目指して飛んでいった特攻隊員の心情を綴ったものだ。彼の語りがその情景を彷彿とさせ万感迫るものがある。・・・・・彼らは決して英雄ではなかった。粗末な三角屋根の下




で、泣いて、泣いて、泣いて枕がびしょ濡れになるまで泣いた。またあるものは、小さな子供に「お父ちゃんここから逃げよう」と言われ心が揺らいだ。またあるものは、祝言を挙げたばかりの妻を残し、また生まれたばかりの子供の顔を見ることもなく、イヤ、生まれたことすら知らないで死んでいった。またあるものは、「よそのお父さんを羨むな」と手紙に書いた。・・・続く

272829日のありがとうございます12600回、14400回、19500回。 Cafe昭和の時代


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 25日の3周年小宴を終えて帰ってくると小包がある。開けてみると「プチ紳士の手紙」の志賀内さんから、お願いしていた「レクサス星ヶ丘の奇跡」が送られてきていて、その中にプレゼントが入っている。志賀内康弘さん著書でロングセラーの「タテ型人脈のすすめ」。パラぱらっとめくってみたがなかなか含蓄のある見出しばかりで、ゆっくり拝見させてい



ただこう。ありがたいですね。ツイテル、ついてる。昨日は、「末廣章画伯絵画展」に来られていた方々と小林正観さんの話しになり、「私の書いた冊子に正観さんのこともちょっと書いてますよ」と言うと、「ぜひ見せてください」と言うことでお見せすると、「譲ってください」と言われるから、「イヤ、イヤそんな代物じゃありません。差し上げますよ」とお渡しする



と、「すみません。できたらちょっと記念にサインしてくれませんか?」「お恥ずかしいですね。でも、ハイ!喜んで」(頼まれごとは試されごと)。「じゃあ、私も・・」「私もお願いします・・」と4名様にサインをさせていただいた。なんだか作家になった氣分である。幸先の良い4年目のスタートである。起業して生き残る確率は、3年で30%。70%が消えて無くなっている




という。ところで、我が町下到津だけでバタバタ3軒が店を閉める。41年間続いてきた「大海飯店」さんも賃貸借契約が終了で今日の27日まで。急遽川﨑君、白石君三人でお別れの昼食会。「残念ですね。名残惜しいでしょ」「ハイ、もうちょっとやりたかったです」。とい面のコンビニを入れると4軒の空き店舗になる。街は寂れる一方だ。東京だけ栄えて・・・本当にこんなことでいいんですか? 地域創生と言いながらどんどんと寂れている現実。

25,26日のありがとうございます8000回、12100回。ギャラリーCafé昭和の時代


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 昨日、Café昭和の時代ギャラリーZOOの開店3周年記念の小宴を、開店したばかりの第六吾妻シチュー屋さんに、にぎり寿司をにぎって貰って楽しい会話が弾んだ。「なに?、シチューやさんでにぎり寿司??」「ハイ、そうなんです。46年続いた第六吾妻寿司が、第二の人生で夢だったシチュー屋さんを始めたんです。で、5名以上で予約したら“男やけ”の大将が自



慢の寿司をにぎってくれるんです」と言うことで、6人がおいしいお寿司を堪能しました。たまたま昨日テレビ局が来て取材があったそうで、46めんたいワイド」で放映されるとのこと。早速テレビ??ツイテルね。大将の仁徳でしょう・・・大家さんからは二軒にりっぱなお花を頂いた。大家さんも、コンビニに勤めだして丸一年が過ぎた。しかも無



遅刻無欠勤。凄いですね。肝臓やリュウマチ、高血圧などいろんな病を持っているのに、おかげで「真宝の水素水」を飲み出してとても元氣になって、これなんです。凄いですよね、恐るべし水素水!!。オマケに水素生成器は我が昭和の時代に置いたまま。「どうぞ使ってください」と貸していただいて、いる分だけ二階から取りに来られる。こちらは自前の2



台と会わせて3台がずらり、大助かりです。ありがたいことです。いつも皆さんに助けられています。家内にも散々迷惑を掛けてきました。赤字続きの店を良く支えてくれました。何とか一本立ちできるよう日々笑進ばく進中・・・お隣のギャラリーZOOさんも、事故にあって先頃補修工事も完了し、新たなロゴ入りテントもついて気持ちも新たに10年に向けて出発進行!!石の上にも3年、10年偉大なり、20年恐るべし、30年歴史になる。



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 19日の木曜日のめだかの楽幸・堀木教室では、「末廣章画伯絵画展」の真っ最中と言うこともあって、堀木先生が「今日はせっかく素晴らしい絵が飾っていますので、5分間絵の鑑賞をして、自分が一番氣に入った絵を見つけて下さい。そして、その次に氣に入った絵を。それから一人4分以内でなぜ氣に入ったかなど感想を含めて話して下さい」とのことで、早速一人



ずつ発表。「みんな絵に興味があるわけじゃないのでちゃんと話せるかな??」と思っていたら、いつも一番くじに当たる神塚君はしっかりその思いを分かりやすく話してくれた。なかなかいきなり論評は難しいものであるが、さすがです。やっぱり頭がいいんだなあと思った。いきなり第一頭から話せと言われても、何を話していいかさっぱり要領が掴めな



いものだが、ほとほと感心している。皆さん、それぞれ人生の想い出も含めてしっかり楽しくその思いが伝わってきて、「なかなか良い試みだな」と感心していた。ひとくち健康講座を受け持ってくれている整体の吉武先生がこんな話しをされた。「曼珠沙華が花瓶に飾られている絵は珍しい。曼珠沙華は畑の野辺に咲いている風景が普通だが。ところで、この曼



珠沙華は、日本人の最高の叡智が凝縮されている。この花には毒があり嫌われているが、実は、飢饉で食糧難に陥って飢える寸前、この根を掘って水にさらして食べると栄養がある。最後の食料です」と。ホォー凄いですね。また一つ勉強になりました。世の中知らないことばかりです。だからこうして学ぶ機会を自ら積極的につかんでいかないと損をするんです。

2324日のありがとうございます12700回、12000回。MYライブCafé 昭和の時代



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 昨日、京都の陶芸家の北川さんが博多であった陶芸展の帰りに、桃の香りと味がする珍しいイチゴを持ってきてくれた。日進月歩、果物の世界でも進化し続けている。みんな地道によく頑張ってますね。土曜日の「末廣章画伯絵画展」に、中間市からお出でてくださったMさん。75才まで現役の看護婦さんを務められ、85才の現在は子供たちの登下校の交通安



全の補導役をずっと続けているという。「歩けるのが嬉しい、子供たちのお世話をしていると生きているという実感がする」とおっしゃっていた。実に素晴らしい生き方だ。そこの自治会長さんは学童補導などにもとてもまじめな方で、何と私と同姓同名の「山下徹」だそうだ。末廣さんもよくご存じという。Mさんは、土曜日は学校がお休みなので、いろんな



所に電車を乗り継いで絵画展などを巡っているそうだ。まさに終身現役を地でいかれているお方だ。我々のめだかの楽幸は、Mさんのような生き方ができるよう日頃から心がけて、そのような人の輪を広げていくところにある。結局、みんなが健康で積極的な生き方をすれば、病院代も掛からなくなり医療費削減に大きく貢献するばかりか、明るく元氣で健康的





な社会の構築に大いに役立つというものでる。しかし、一人ではなかなかできない、できても続かない。だからこうして定期的に集ってお互いに学び合うことが極めて大事なのである。たまには、絵を鑑賞して意見交換するもよし。音楽を鑑賞して心を豊かにするもよし。何をしなければならないと言った肩苦しい枠を取っ払い、元氣で「一隅を照らす」にはどうしたらいいかを共に学び合って活かしていく。そして次の世代に良き社会を残すこと。


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 昨日は一日遅れのお彼岸のお参りに行ってきた。今まで遅れたことはなかったのだが、中日の21日は、11時から健康講座があり、その後「末廣画伯絵画展」のお客様が来られたので、タイミングを逸していたところへ、「不動産を売却したいのでぜひ会いたい」との電話で出かけ、とうとう行けなくなったので、昨日家内と門司の菩提寺へ出かけ懇ろに




先祖供養をさせて貰った。その前に、家内の妹の旦那の三回忌法要に参列。と言っても身よりもないので身内だけで。妹も「真宝の水素水」を飲み続けて一年。相当厳しい状態だったが当時に比べると比較にならないほどだ。よかった、佳かった。これからも運んであげますからね。健康講座小林弥壽枝さんは71才。元気溌剌、毎日北は北海道から南



は沖縄まで健康のお話で駆け回っているが全く疲れないと言われる。しかも、趣味のダンスはプロ級。なんと何とパートナーの男性は90歳と言うから恐れ入ります。元氣が一番です。とにかく、腸の中をきれいにすると元氣になる。先頃もNHKテレビで腸内細菌のことが放送されていたようであるが、中村天風先生100年前からそのことをおっしゃって



いる。口述録「いつまでも若々しく生きる」に詳しく認めてられている。彼女は、明治の初頭から猪苗代湖の疎水運動を一人で起こし、全財産を投げ出し、長年の苦労の末政府を動かし実現させた小林久敬の子孫でもある。よって大変な数の人々の暮らしを豊かにし、地域を発展させた功労者である。その顕彰の意味もあって本が出版された。だからその血を受けた彼女も凛としてかくしゃくとして武士を感じさせる。世のため人様のため・・・

19202122日のありがとうございます1460012991370015200回。昭和の時代