2989

 Mさんは、コーヒーのあらゆる豆の味のテストに100点満点で表彰されたという。こんな人にコーヒーをお出しするのは相当気が引けるが仕方がない。焙煎も全部自分でやっている。焼き方だって何段階もあって聞いている端から忘れていく。まあ、こだわる人は本当にこだわるんですね。人生それぞれ勉強になります。ありがたいことです。また昨日は、




こんな方も来られた。60才からゴルフを始め、77才ではエイジシュートを。8184歳の時九州チャンピオンに。スーパーシニアと称されるようになった。89才、この5月に全国大会に出場されるという。まあ、スゴイですね。立派な体格のお方だ。「この店とても気に入りました。“昭和の時代”、屋号がいい。私は少年航空兵でしてね、昭和生まれの新兵が入っ



てきたらとても嬉しかったんです。炊事洗濯などみんな新兵の仕事ですから助かるんです。まあ、昭和の時代は好きですね」とにこやかにおっしゃる。そうです、このご主人のように年をとっても元気でいることが如何に大事であるか。元気であるからこうして末廣先生の絵を見に来ることも出来き新たな出会いも生まれる。末廣先生の「官営八幡製鉄・本事務所




の絵」(ひょっとしたら世界遺産の登録されるかも??)が市長室に飾られていると言うこともあり、北橋健治市長も足を運んで下さった。「やあ、山下さんお久しぶりです」と入ってこられた。超多忙を極めているのに実にまめな方だ。このまめさが市長三選にも繋がったのであろう。「お店が分かったから、また出直してきます」と次の目的地へと・・・・。

13141516日のありがとうございます700015700111007000回。 昭和の時代


2988

 末廣先生絵画展も残すところ明日、明後日の二日間となった。長いようで短かったこの一ヶ月間。駐車場の問題や弊店のキャパの問題などから、積極なる案内を差し控えたそうだが、それでも先生の人柄というのであろうか、素敵な人たちがやって来られいろんな楽しい会話が生まれ、私が一番楽しく勉強させていただいた。盆栽歴40数年という元県会



議員の方。毎朝一番にサツキの盆栽を観に行くのが楽しみでワクワクするという。毎日会話をしていると、「今日は水はいらないよ」という声が聞こえてくると言うから、如何に心酔しているかが伝わってくる。88才ながら現役の絵画の先生であり、仏教歴史にも造詣が深く、H24年から4度も出雲へ出向かれ、珍しいお菓子のお土産を頂いた。「私は士官兵で



したから」と。どおりで姿勢が良くかくしゃくとされているはずだ。80才を超え毎日絵を描かれて、我が昭和の時代の書を書いて下さったE先生は、高血圧で上が230260、下が100前後というのに降圧剤は全く飲まれていない。また「糖尿病患者」という手帳までもらっているのに、これまた全く薬を飲まれない。「山下さん、人生は気力ですよ。死ぬときは死



ぬ。だから今日を精一杯感謝して生き抜くだけです。それと極力一日一食にしています」と。まさに我が師中村天風先生の教えをそのまま実践されているようなお方だ。また、昨日は、世界的に有名な画家九十九伸一さんの師匠の八木先生もお見えになられ、我らが平成の志士・きいたかしさんと記念写真を撮らせていただいた。きいさんと末廣画伯が一時間程度会談ができとても意義あるひとときでした。何と、何とコーヒーソムリエMさんも来られ・・・

2987

 よその学校に行ってもらおう“という結論に達したとき、必ず最後に小原先生が“我が校で面倒見ましょう”と頑なに言い張り“私が責任を持ちます”とこう言われるのです。教育者としての断固たる信念をお持ちの方でした。」と。大場先生は、小原先生の生家である出雲の豪邸に何度も行かれ見事な客殿にびっくりされたそうだ。豪商の跡取り息子として京都商業、大谷



商業(現東京経済大学)の道を歩まされるが、戦争とその敗戦によってその筋書きは消え去り教師の道を歩むこととなる。最後まで「出雲に帰りたい・・」、そして「うたごえに行きたい」と言われていたという。春には近くの出雲大使を呼んで講演をしてもらう段取りになっていて、先生も楽しみにされていただけにとても残念だ。それにしても通夜の時も、そ



して葬儀の際も、賛美歌が始まったら涙が止めどもなく溢れてきて声が震えて歌えない。こんな悲しみは母親の葬儀以来だ。それほど先生の愛は深すぎた。たった4ヶ月の学生時代の間柄だったのに。先の「私が責任を持ちます」の教師としての大いなる自覚は、まさに私の時も同じ心構えだったのだと、改めて思い知らされた。「この子を一人前にしなければ・・・



」という強い信念の元、休学中何度もあのボロ家に足を運んで下さった恩師小原先生、改めて深く、深く感謝申し上げます。いろいろ書き出したらきりがないので今回はこの辺で・・・。最後に無冠の大師小原清伍先生は、さすがご自身の身体は産業医大に献体なされたことを以てっしても如何に偉大なる大人物であったかが分かる。感謝、感謝また感謝。

今回は先生の十八番の、オー・ソレ・ミオ、ああそれなのに、美しき天然、星の界を歌おう・・・


2986

 昨年の628日のすずめの楽幸(うたごえを最後に顔を出されなくなった。そのときも、何と余命3ヶ月の宣告を受けての直後なのに、無理を言って親族の方付き添いで来られたのだが、さすがに大好きなビールも飲まれなかった。お顔もどことなく力強さが無く元気もなかったように思えた。でも、「一言ご挨拶を」に、「私はとても運の良い男でございます。




軍隊時代、終戦間際の広島駅に列車が着いたときは目を覆うばかりの大惨状を目の当たりにこれは大変なことが起きたと思いました。実は原爆が落とされた翌日に到着したのですが、何かの手違いで一日遅れて広島に着いたのです。本当でしたら、私たちがあのような状況になっていたのです。このように私はとても運が良く今日まで生かされています」とおっしゃって



いた。先月28日のすずめの楽幸(うたごえにも、どうしても行きたいと言うことで、家族で一緒に行こうと言うことになっていたのだが、医師たちの判断で断念されたとお嬢様が言われていた。また、先生はケアハウスのお部屋には、私からの手紙やメッセージを後生大事にされ壁などに貼られていたそうで、そんなこともあって、どうしても私に葬儀の



ときに思い出話をして欲しいと懇願され、「ハイ、では分かりました。先生へのご恩返しのつもりでやらせていただきます」とお応えした。それこそ、中村文昭さんではないが、「02秒の返事。頼まれごとは試されごと」が頭をよぎったのだ。私の前に、私たちの時代の大場先生。その後校長になられたそうだが、大場先生が親しみを込めて小原先生との思い出話をされた。とても感動的だったのは、手に負えない生徒で散々会議をして「よその学校に・・・・


2985

 恩師・小原清伍先生が天に召された。410日午後830分。全く以て大自然の仕組みに則った大往生だった。そのときは干潮時刻である。海の潮が引いていくその波に乗って天国へ召されていった。キリスト教では「召天」「帰天」と言うそうだ。八幡東キリスト教会での通夜式で、牧師の奥田知志さんがそう話された。奥田さんと言えば、今では全国区の



かの有名なホームレス支援機構の代表でもある。丁度10年前に奥様が亡くなられたときもここであった。先生は、328日の91才の誕生日を病院にて皆様に囲まれてお祝いをしてもらった際も、ニコニコと穏やかに話されていたそうだ。そして、闘病15年の食道癌も末期、相当苦しかったであろうが、見舞客にはちゃんと笑顔で応対されていたという。そ




して、息を引き取る前日までしっかりご家族の方々ともお話しされ、「91才という高齢ながらもこのような最期を迎える方は極めて希である」と、奥田牧師も話されていた。当日の午後にお嬢様からお電話を頂いていた。丁度絵画展があっていて手が離せない状態だったが、とうとうお見舞いにも行けなかったことが大きな心残りだ。そのときに、お嬢様には



毎朝毎晩しっかりお祈りさせてもらっていますから、先生の耳元にそうおっしゃって下さいね」とお願いした。人間はふしぎな生き物で、亡くなる前は、目はもうろうとして見えなくなるそうだが、どんなに耳の悪い人でも、ちゃんと聞こえているそうだ。だから決してひそひそ話でも話してはいけないという。中村天風先生も、ご自身の体験からそう話されている。先生もきっと私の思いは伝わったと思う。何と、今日の葬儀で話をしろと言うことに・・・

101112日のありがとうございます43002360011200回。 Café昭和の時代




2984

 ぎゅうぎゅう詰めの車の行列で一向に前へ進まない時間帯がある。やっと乗客を乗せて行き先を聞くとワンメーター。ガックリして車を走らす。こんな経験を何度も味わった。「ツイてるなぁ・・」「ツイてないなぁ・・」、この頃から「人生にはツキとツカないなにかがある」を考え始めたと思う。頃合いをみ計らって帰社し精算をして最後にちゃんと洗車をして帰る。



次の人が運転しやすいようにしっかり掃除をする。疲れた身体にむち打って帰ってくるのが夜中の2時3時だ。それから寝て、また朝仕事に出かける。こんな生活が半年ばかり続いたがやっぱり身体が持たない。そんな経験をしたので、タクシーに乗ったら必ず「景気はどうですか?」と聞きたくなる。大概は「いけませんね。さっぱりですわ・・」の返事が殆



どだ。最近の運転手さんは殆どがリタイヤして第二の就職の人が多くて、結構話にゆとりのある人が多くなった。北九州辺りで、これ一本で食っている人は本当に大変だろうと思う。そんな人たちへのヒントの話が載っていた。ワンメーターのお客さんを大事にして700台以上ある営業車の中でナンバーワンの運転手さんの話である。古川功さん43才がその人。




青森出身で、以前は建築の仕事をしていたがリストラにあって名古屋まで出て来てアテもないところ、たまたまコンビニに置いてあった求人誌を見て応募したそうだ。しかもあこがれの「黒塗り」の運転手をしたいと言ったら、「新人がなにを言う・・」と笑われた。黒タクに乗るには、無事故無違反、お客様からのクレームがないこと、成績優秀である、この三拍子揃って始めて夢が実現するそうだ。しかし、「じょっぱり」の古川さんはチャレンジ・・・







2983

 ニンジンのヘタを水素水で栽培しているが、凄いいのちのチカラを発見。ヘタは日が経つにつれ葉っぱをどんどん茂らせる代わりに果肉が弱ってくる。スゴイのは果肉から毛根がたくさん伸びてきてニンジン本来の生命活動を始める。その代わりに果肉は色が褪せてきて朽ちる寸前の色になっているが、依然として葉っぱは元氣に茂っている。これが凄い!!。



ちゃんとしっかり遺伝子に書き込まれているのであろう。それにしても自然の生き物のたくましさには驚かされ、日々生きる力をいただいている。Café昭和の時代でも、「ワァー、かわいい!!。スゴイですね・・」と人気上昇中。・・・昨夜は清水幸子さんの健康講座に出向いた。我らがめだかの楽幸の同志、畑山さん、沓内さんも参加。40才を過ぎたら消化吸



収が悪くなり血糖が上がるので、食事の撮り方がとても大事になってくる。それから「」は非常に大事で、「」は血糖を下げる効果もあるそうだ。悪玉活性酸素を除去する水素水量子水はとても良いとも話されていた。量子水で仕込んだ出雲の純米酒・亀甲舞を買ってきた。麹の香りがぷ~んとして旨かったね。日本酒はついつい飲み過ぎるから要注意です。




昨日のつづき・・・家内とまだ結婚をする前のことである。ちょっとお金を貯めなければならないことから、仕事が終わって夜のアルバイトとしてタクシーに乗ったのである。当然流しである。「誰か手を挙げてくれないかなぁ~」と、キョロキョロしながら走らせる。遅くなってくると人通りが少なくなって来るから、勢い飲み屋街へと。しかし、車の行列だ。

678日のありがとうございます14000940013500回。 MYライブCafé昭和の時代

2982

 昨日夕方、めだかの楽幸・堀木教室堀木先生がコーヒーを飲みに来られ談笑しているところへ、若松からベートーベンこと坊さんこと古田さんがやって来られた。シューベルトのお菓子「天使のしらべ」の販売が最終日とのことで、甘党の古田さんはわざわざ井筒屋まで寄ってからこちらへ来られた。お互いに初対面で、「小倉高校の先輩後輩になりますよ・・」と



紹介すると、話は弘法大師の話から、シューベルト、ベートーベン、アレキサンダー大王の話までどんどん広がっていく。真、善、美(哲学、宗教、美学)と高度な話へ深化してゆく。「わぁ、私の話をこうして気持ちよく応対してくれる人は滅多にいないのですが嬉しいですね」と握手を交わす古田さんと堀木さん。この人と人との出会いを大切にするのがまさにCafé 



和の時代の真骨頂だ。まあ、しかし、頭の良い人というのは本当にスゴイですね。紀元前の年代までピッタリ、どこで誰がどうしたと言うことを想像力豊かに話す。それがお互いにスッと溶け込むところが凄すぎる。私なんか聞いた端からスッと消え去ってしまっているから何ともお恥ずかしい限りです。・・・ところで、「プチ紳士からの手紙」第98号を読




んでいると、タクシー運転手の物語が出てくる。タクシー運転手と言えば、以前広島の森田さんから送っていただいた「スマイルニュース」にもタクシー運転手のことが書いてあって感動して読んだのを思い出した。また、公園のトイレ磨きをしていると、よくタクシーの運転手がやってくるのでなぜか親しみを感じる。それから随分と昔の話であるが、私もバイトでタクシーの運転手をしていたことがあるので、何かにつけ関心がある。・・・つづく


2981

 「プチ紳士からの手紙」第97号にこんな投稿記事があった。5才になったばかりの男の子に、家族とメールができるおもちゃを買ってあげたママさんからのお便り。そのメールのおもちゃを3才の妹と取り合いの大喧嘩!「「喧嘩したり泣いたりするなら、もうこのおもちゃいりません!ママ捨ててくる!」と私が怒鳴ると、二人とも更に大泣き。「もう知らない!」と



そっぽを向いていた私でした。すると息子はおもちゃをカチカチ。「まだやるか!」とイライラした私は、無視して家事をしていました。しばらくすると息子がおもちゃを持ってきて、無言で私に渡したんです。おもちゃを見ると、新着メールありのマーク。開いてみると、「ままだいすきいつもごはんおつくってくれてありがとう」と書いてありました。私はハッとしました。同時に涙



が溢れていました。すぐさま「怒ってご免ね。ママも大好きだよ!」と返信。それを見た息子は「ありがとう」とにっこり。「ママも笑って」という息子に、涙を流しながら笑いかけました。「ごはんを」が「ごはんお」になっていて、まだまだ子供なのに本気で怒った自分に反省・・・。こんなに怒ってもママのこと大好きって言ってくれる息子。いつの間にか成長した息子。私もママとし




てまだまだだなって勉強させられました。 昨日の「公園のトイレの女性」ではないが、「あのような女性が増えていったら本当に日本は一体どうなる??」と危惧しているが、実際の社会ではまだまだこのような心優しいお母さんが圧倒的だということ。そして、みんな子供に学びながら成長していっているのである。女性の本来の使命は、なんと言っても子供を生んでくれ立派に育ててくれることに尽きる。それを後押しするのが男の仕事である。


2980

 先週の土曜日、公園も桜の乱れ咲きで春爛漫と言った感じで、洋々とトイレ磨きに臨んだのだが、個室を開けてびっくり仰天。その前の週には、「ありがとうございます」のシールが剥がされ、壁やタンクに貼っておいた標語も全部剥がされ、両面テープの後が汚らしくその痕跡を残していた。取り除こうとしてもシンナーか何かがないと剥げない。仕方がない




からそのままにして帰ってきたのだが、案の定、ゴミは散乱するわ、オマケに女性の整理用ナプキンの汚物がご丁寧に置かれているではないか。便器には赤い血痕がしたたり落ちている。なんと言うことだ!!。「今どきの女は??」と叫びたくなる。「女としてのたしなみや恥じらいはどこへ行ってしまった??大和撫子よ・・・」と。ここまで日本も地に落ちた



か?と言った失望感に苛まれる。いつからこんな日本になってしまったのだろうか??。やっぱり環境が変わると人間の心もすぐさま順応してしまうのだろうか?。両面テープの剥がしたあとが如何にも汚らしい。「どうせきたないのだから汚しても構わない」と言った邪悪な心が芽生えてくるのだろうか?。それまでは、「標語」を見てくれていたのだろうか?、



汚す人が随分と少なくなってきて内心喜んでいたから尚更失望感が大きい。まあ、たまたまなのかも知れないが、故小林正観さんの話しの中でもよく出てくるのだが、事件のあった家は間違いなく、特に台所、風呂場、トイレなどの水回りが汚れている。不思議な現象ではあるがれっきとした事実としてのデーターがあるそうだ。人間のふしぎな心理である。

345日のありがとうございます15101910010000回。 Café昭和の時代