ガラス瓶と栓の状況を理解するために、『大日本麦酒三十年史』にて幕末から明治初めに生産の機運のあったビール生産のことに触れてみたい。
ビールは幕末の蘭医川本幸民が1853年、アメリカのペリーが来訪した時 に試飲し、自ら醸造を試みたという伝説はあるが、当時の長崎にはオランダからビールが届いていたので、幕末にはビールは日本に存在していた。
製造の確かなところは1872年3月に、大阪堂島の渋谷ビールが製造を開始したことである。
この頃のガラス瓶はすべて輸入品に頼っており、栓はコルクであった。
ガラス瓶の国産化は難航しており、一時は陶器瓶の採用もあったが、1893年11月から、大阪吹田で始まった。
栓の王冠はイギリスで1894年に開発され、日本にも入ってきてはいたが、当初はガラス瓶の口が一定でなく不揃いのため、ガス漏れ続出で使用できなかった。
王冠が日本で使用されるようになったのは1907年であり、この頃にようやく瓶口の一定した自動製瓶のガラス瓶が供給されるようになった。
これは、たまたま水谷コレクションに収蔵されている銀製の携帯容器1例のみであるが、栓は同一金属にて竜頭のようなネジになっており、きわめて珍しい例である。
容器にネジの栓が使われる例としては古い部類に入るであろう。
栓の上部のネジを指で捻る部分には刻みが入っており、滑り防止も配慮されている。
この金属容器は携帯用薬品セットの一部で、他に簡単な調剤器具、散剤・固形容器があり、懐中に入れる財布(鼻紙袋)に納められている。
製作年代は江戸中期と推定されている。
このセットは非常に贅沢に作られ、所有者の水谷氏は江戸時代の貴人の持ち物であろうと述べている。
ビールは幕末の蘭医川本幸民が1853年、アメリカのペリーが来訪した時 に試飲し、自ら醸造を試みたという伝説はあるが、当時の長崎にはオランダからビールが届いていたので、幕末にはビールは日本に存在していた。
製造の確かなところは1872年3月に、大阪堂島の渋谷ビールが製造を開始したことである。
この頃のガラス瓶はすべて輸入品に頼っており、栓はコルクであった。
ガラス瓶の国産化は難航しており、一時は陶器瓶の採用もあったが、1893年11月から、大阪吹田で始まった。
栓の王冠はイギリスで1894年に開発され、日本にも入ってきてはいたが、当初はガラス瓶の口が一定でなく不揃いのため、ガス漏れ続出で使用できなかった。
王冠が日本で使用されるようになったのは1907年であり、この頃にようやく瓶口の一定した自動製瓶のガラス瓶が供給されるようになった。
これは、たまたま水谷コレクションに収蔵されている銀製の携帯容器1例のみであるが、栓は同一金属にて竜頭のようなネジになっており、きわめて珍しい例である。
容器にネジの栓が使われる例としては古い部類に入るであろう。
栓の上部のネジを指で捻る部分には刻みが入っており、滑り防止も配慮されている。
この金属容器は携帯用薬品セットの一部で、他に簡単な調剤器具、散剤・固形容器があり、懐中に入れる財布(鼻紙袋)に納められている。
製作年代は江戸中期と推定されている。
このセットは非常に贅沢に作られ、所有者の水谷氏は江戸時代の貴人の持ち物であろうと述べている。