院長への直訴 の続きです。

 

2021年3月2日に病院の玄関前で〇〇前院長とお話しさせていただいた際、「近々病院の弁護士から連絡が行くと思いますので」とお聞きしました。それから2週間が経過した3月16日、委任していた代理人弁護士より「相手方代理人が本件について受任した旨の3月11日付の連絡文書が届きました」と連絡がありました。

 

連絡文書は以下のような内容でした。

 

・〇〇市民病院及び〇〇〇〇氏(過失医)の代理人になった

※〇〇医師(過失医)の代理人については後日辞任されたとお聞きしました。

 

・後遺障害が残存するに至ったことについて十分な対応ではなかったと判断した

 

・適正な損害賠償をしたいと考えている

 

 

2020年1月22日の医療事故直後から病院は医療過誤(医療事故のうち、医療従事者の過失により患者に被害が発生すること)であることを認めていましたが、この連絡文書をいただいた時、既に1年以上が経過していました。対応が遅すぎるのではないかとも思いましたが、これで漸く前に進めるという安堵の気持ちの方が強かったように記憶しています。

 

同日、〇〇医師(上級医・当時の主治医)に連絡文書が届いた旨をお伝えさせていただいたところ、「良かったですね。決して迅速とは言えない対応に感じますが、まずは一歩前進ということだと思います」と仰ってくださいました。

 

しかし、その後、和解に関する提案はありませんでした。

 

《時系列》

2020年01月22日 医療事故発生

2020年01月24日 〇〇医師(過失医)が過失を認める

2020年05月21日 外部有識者による検証が完了する

2020月06月02日 〇〇前院長が「医師の手技上の過誤」と認める

2021年03月16日 病院の代理人弁護士より受任通知(3月11日付)が届く

2021年08月26日 和解の提案なく、訴訟提起する

2022年06月28日 病院が記者会見を行い「和解を申し出る」と発言する

2023年10月09日 和解の申し出等はなく、現在も係争中

 

 

2022年6月28日の病院記者会見で〇〇前事務局長が「裁判になる前から和解の話はしていた」と仰いましたが、実際には病院から具体的な和解に関する提案があったことは今まで一度もありません。

 

訴訟提起後、〇〇医療課長が病院関係者に対して「具体的な金額提示を伴う和解提案を受けたにもかかわらず、患者家族がこれに納得せず訴訟提起した」と話されたことで、病院関係者や市民の方から「病院からの提示金額はいくらだったんですか?」という質問をされることもあり、大変屈辱的な思いをしました。

 

医療過誤の経緯を綴る際、あまり主観が入らないように注意していますが・・・事実でないことを事実であるかのように印象操作されたことに対しては強い憤りを感じています。それに対する謝罪等も一切ありません。

 

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(2021年3月16日の日記より)

〇〇弁護士(病院の代理人弁護士)より受任通知が届いた件、〇〇先生(弁護士)よりメールがあった。〇〇先生(上級医)が仰るように一歩前進したことは素直に喜びたい。でも、〇〇先生(過失医)や市民病院の事後対応がまともなら違ったはず。私はもう院長も〇〇先生(過失医)も信用していないから全て疑ってしまう。

 

〇〇弁護士(病院の代理人弁護士)は何だか複雑なお立場のように思う。〇〇先生(過失医)が〇〇弁護士(過失医の代理人)を立てて病院に対して要求している件と母の医療過誤の件で利益相反にならないのか凄く不思議。

 

(2021年3月19日の日記より)

昨夜は一睡も出来ず。あれこれ考え過ぎて結局朝になってしまった。14時から打ち合わせ。主治医意見書は22日の〇〇先生(上級医)の事情聴取が終わってからにしようと思っていたけれど〇〇警察署への出頭は延期になり、いつになるのかわからない状態になってしまったとのこと。主治医意見書と身障者診断書を渡すこと。カルテの開示請求もすること。

 

12時35分、6南病棟より携帯へ電話あり

私が飛行機事故に遭って重体だと思い込んでいると。母が電話口に出たため、今日の夕方コーヒーを持って会いに行くからと言って電話を切った。

 

17時45分、病院へ

たこ焼きとおやつ、アイスコーヒーを持っていくと喜んでくれた。でも、様子は相変わらず。居た堪れなくなり40分ほどで病室を出る。

 

〇〇先生(上級医)は弁護士さんに依頼出来たかな。すべて良い方向に向かいますように。帰りに総合受付横の掲示板を見ると〇〇先生(整形外科)と〇〇先生(整形外科)が今月末で退職と書いてあった。〇〇先生(過失医)の名前はなかった。

 

(2021年3月22日の日記より)

19時過ぎ、病院へ

テレビカードとコーヒーを買って持って行った。

病室へ入るなり「パパに挨拶しておいで」と言われる。父や親戚の話ばかり。認知症というより幻覚が見えている感じ。薬の影響かも。とても疲れる。精神的な拷問を受けている感じがする。足を切ってほしいと言われる。足底部が死ぬほど痛いと。

 

(2021年3月25日の日記より)

15時20分〜カンファレンス

〇〇先生(上級医)、〇〇さん(ソーシャルワーカー)、〇〇師長(当時)、もう一人師長?

 

退院後の介護費について〇〇さん(ソーシャルワーカー)に尋ねたが、やはり退院の目処が立ってからでないとはっきりしたことはわからないとのこと。住宅改造費についてもわからないとのこと。主治医意見書は〇〇さん(前医療課長)に確認の上、作成していただけることになり少し安心。膀胱直腸障害の診断書も一緒にお願いした。

 

帰り際、廊下で〇〇師長(当時)さんと少し立ち話をした。私の立場なら今の母の状態を見るのは怖いと思うだろうし、先のことを考えると不安になると思うと仰ってくださって涙が溢れそうになった。気持ちを理解していただいているようで凄く嬉しかった。本当に毎日叫びたくなるほど怖くて不安。母はもっと不安だろうし、このまま生涯を閉じるようなことになれば無念だろうと思う。〇〇先生(過失医)の現状について質問した。相変わらず遅刻と早退を繰り返しているけれど、意外にも元気そうで驚いているとのこと。

 

(2021年3月27日の日記より)

11時40分、〇〇さん(看護師)よりパッドがないと電話あり

パッドを買って病院へ

 

(2021年3月30日の日記より)

16時過ぎ、おむつを買って病院へ

 

(2021年3月31日の日記より)

明日から4月。

母が医療過誤を受けて今に至ることをどんどん忘れ去られているような気がして悲しくなる。バンビの具合が凄く悪くて辛い。毎朝、母におやつを貰うのが日課だった。この一年は母にかかり切りで十分に愛情を注いであげられなかった。せめて苦しまずに穏やかな最期を迎えさせてあげたい。

 

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image
市民病院前の桜
(2021年3月27日14時40分撮影)

 

 

医療過誤の経緯に関する記事はこちら→ 医療過誤

 

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