昨日の私。
娘の本年度の学童説明会があったので参加し、夕飯を作ったぐらいの活動した位で、他は通常運転にてノホホンとした日常生活を送りました。

変わった事と言えば、その説明会の間に学童関係者やその参加者や一分間の黙祷を捧げた事でしょうか。

正直なところ、昨日があの日であった事をその時まで、忘れてしまっていました。
お恥ずかしい話なのですが、正確な日付で過去に起こった事を覚えておく事が苦手なトリ頭で…
あまつさえどうりで最近のテレビで震災の特集をしているな〜等と不届き千万な事を考えていたりしました。。。

何しろそんな体たらくだったので、昨日の日付での震災の事に触れつつ記事の更新を今更しても自分の中で白々しく思えまして、
今回は控えようと自粛する事にしました。

…引き続き昨夜も、娘の夜の足揉みは決行しています。
主人の会社は少し前から土曜日がお休みになりましたが、主人は流石に私服でですが、土曜日も毎週自主的に出社をしています。

そんな状態なので定時に出社しなくても良く、帰りもいつもより早目に退社する事が出来るのです。
なので娘の希望により、この日は学童の送り迎えを主人がしていて、
昨日も娘と共に平和に帰宅しました。

で、私が作るのに随分と手間取ってしまったが為に、いつもより遅い時間に出来上がってしまった夕飯を食べた後、
娘と私が入浴を済ませてから、娘が今夜はパパと寝たいと言ってパパのベッドに向かった様です。

暫くして主人のベッドへ私が行ってみると、娘も主人も既にグッスリと寝入っていました。
そこへ乱入して娘の足揉みを開始すると、程なくして激痛に目を覚ます娘。
つられて主人も目を覚まし、暫くの間、娘にとっての拷問的儀式が続きました。

施術の実行中と終了後、与え続けられる痛みに怒り狂った娘に蹴られまくりましたが、黙殺。
暫くしてから気持ちが落ち着いた後、主人のベッドに寝転がったまま、小さくママお休み〜と声掛けしてくれました。

振り返れば本当に、我が家にとって平和な1日でした。

…でも、こんな日常を送れる毎日を過ごすのは、当然の事ではないんですよね。

改めてあの震災で亡くなった方には心から、ご冥福をお祈りさせて頂きたいです。


…あの日。
天災により沢山の命が突然失われる事態に陥りました。

どうしても普段からずっと意識し続ける事は出来ないでいるけれど、
昨日も今も、今の所は生かされているにも関わらず、それが実は当たり前の事ではないと、
こういった節目の時に改めて気付かされます。

震災の後も、アメブロが切っ掛けで知り合って交流していた方が子宮癌で亡くなっていた事が分かった経験があります。
つい先日、娘と同級生のお友達のお母様も恐らくは交通事故で亡くなられた事を知りました。

そこで、人はいずれは死ぬ生き物なんだと認識するのです。

私も家族も、老衰以外で突然に死ぬ可能性が等しくあって、
生かされる事は当然でなかった事を知る。

私はいつ、どんな形で死ぬのだろう?
娘は?
主人は…?

こればかりは不治の病であるとでもいう風にハッキリと判明しない限りは幾ら考えても分からない事ですが、
そういった意識を持つ事も大切なのではないかと気付かされました。

与えられた死する迄の時間を本人なりに意味のある様に、大事に生きていけたらいいなと思います。

もしかしたら明日、死なないとも限りませんしね。
でも、身近な人がこの世から去ると考えると、どうしても切なくなってしまいます。
割り切れる類の事ではないですよね。

取り敢えず、今夜も娘に足揉みをしました。
娘が痛がって号泣するのも、怒りを燃やすのも、生きていればこそ。
何だか意識すると今迄とは違った風に見えてくるので不思議ですね。

日中は、主人が娘とデートしてくれました。
映画を観て、食事をしたりした様です(笑)
何だか、ラブラブな父娘です。
ホッコリします。

私は単独で六本木に向かわせて頂き、樫木先生のグループトレを受けて参りました。
本当はお昼からの少人数制を予約していたにも関わらず、
開始時間をスッカリ勘違いしてしまって、参加をし損ねてしまったのですガックリ

ただ幸いな事に、次の時間のグループトレの枠に空きがあったので受付の赤江さんにその枠を勧めて頂いてトレーニング自体は受けられたけれど、
偶然この日にツートレを受けていたお友達のTJさんの話によると、その前の少人数は結構ハードで、内容の濃いものだったとかで、参加する気満々で向かったにもかかわらず受けられなかった事へのショックを禁じ得ません。

こんな風に勘違いポカミスで身を焦がす程の後悔を味わうのもまた、生きていればこそ。

己の頭のポンコツさ加減には戦慄が走りますが、コレも人生の自己責任ですよね。

ぁあ、重い…。
自分には自分の存在が重過ぎて、多々、操縦仕切れず事故を起こします。
もぅ生きるの、頓挫しそう。

こんな生き方があってして、果たして良いものなのだろうか?

考えてしまいます。

手押し車的な、キツさのある人生を生かされるの、いとツラし。

(弱音で終わる。)