私にとって、初めての『子育て』は…。

蓋を開けてみれば、正直
面倒臭い事の連続だったショック!

最近愛読している、女優の遠野なぎこさんのブログを読んでいた時、人様から投稿されたあるお悩みのお答に、

子育てとは自分の時間を投げ打ってなさっているのでスゴイと思っている

的な表現がありました。
そんな一文を目にした時、ナルホド!と思いました。
曖昧な子育てに、正しい答えはないとよく言われるし、何かといえば、そんな表現を目にします。

でもそれは、括りが曖昧過ぎて私の中のモヤッとした悩める気持ちを晴らすには不充分な言葉でもあったのです。

確かに子供の個性なんて人それぞれだし、母親がこうすべき!というひとつの正しい子育ての方法なんて無いのかも知れない事は分かります。

でも、自身でも、現在進行形の子育てに違和感を感じていて、そこを誰かにハッキリと指摘して欲しかった。

少なくともお前の子育ては間違っていて、母親に相応しい振る舞いなんて出来ていないんだ!と…。

遠野さんの表現は、そんな私のモヤモヤを吹き飛ばしてくれた様に感じました。

そう、当たり前の事かも知れませんが、母親とゆ~存在は、自分本位ではいけないのです。
自分の時間を投げ打って子供と接する義務がある。

そんな風に受け止めると、納得出来ました。

それが正しい、と言い切ってしまうと、キツくて押し付けがまく感じる方もいらっしゃるかも知れません
でもそれが自然に出来てしまうのがある意味、母親としての愛情なのではないかと思うのです。

考えみると、私が感銘を受け、尊敬するママさん達は皆、自然とそれをやっている。

無論、状況によってどんなママさんにも大小様々な悩みがあるのでしょう

でも、その視点で見た時、ちゃんと実行出来ているママさんは、やっぱりいいお母さんだなぁと、感じるのです。

出来ていない、即ち常に自分本位になりがちな母親が、言うなれば、適性の低い母親になるのではないか、と。

自分にも照らし合わせると、
私は完全に、自分本位。
全然ダメだった訳です。

先日、いつも見ているフジのノンストップという番組をつけていたのですが、遠野さんがゲスト出演をされていました。

テーマはズバリ、『毒母』(どくぼ)。

毒母の定義は多様でしたが共通するのは、母親の接し方により子供の心が抑圧された結果、成人した際に人と上手く関わって生きられなくなってしまうという事でした。