ブログを復活したのはいいのですが、何だか話題がまとまらないまま徒然書いているせいか、ダラダラと締まらない文章になっている気がします。とりあえず、今週は漠然とだけ、頭の中で過去の話を書こうかなあと思っていたのですが上手く纏まってくれません。ブログをサボっていた分、タイピングスピードも落ちた気がするし、弊害が出てますなあ…。
現在の医事のお仕事もまだほんの触りにすぎないし、悩むなあ…。何からどうやって書こうかな。

とりあえず、窓口業務から調整に代わった事により、上司の思惑はともかくとして、私的にはショックだった事は確かです。それから、精神的に落ち着かなくなってきてしまい、どんどん平常心を欠いてしまって、歯車が狂ってきた感じでした。
上司の望む結果に添えなかったという思いを引きずりながら、調整の仕事をする。
上司からは、私の行動をいちいちチェックせざるを得ない様な流れになってしまって、悪目立ちしてしまう存在になってしまったという状況が、当時の私の中で最大にしんどかった出来事です。その辺の事は過去に書いてきた様にも思うので、割愛しますが、相当ストレスで、まともな思考で仕事が出来なかったんです。

そのうちに、調整の仕事でもちらほらミスが目立ち始め、それを見かねた上司に注意されてはペースをがたがたに崩して思い悩む日々。上司の言動が気になって気になって、動きが不自然になっていってました。
休みがちにもなったし、毎日が苦痛で仕方がなかったのです。

そんな時、ある事件が起こりました。

今から思わなくてもごくごく単純な事だったのですが、当時はもうそんな滅茶苦茶な状態だったので、簡単な事すらちゃんとこなせない脆弱な人間になってしまっていたのでした。
内部間でのイレギュラー的な形で起こった問い合わせに対して、応用力と機転を働かせて順序よくこなせば何て事はない事件だったのですが、やり方を間違えてしまった為に事は大きくなってゆき、更に発展して正直に報告しなければいけなかった事を言えなくなってしまい、口を噤んでしまった事がすぐに最悪になって、一気に信用を落として再起不能な状態になってしまったという事があったんです。

当時の事件を聞いたら誰もが私を責めるだろうなと思います。自分でもああ、何やってんだ…と、愕然となりましたから。某科の看護士さんにも迷惑がかかりました。
当然の如く上司に怒られ、総括上司にも報告する事になり、それに偶然関わる事になってしまった歯科の先輩からも叱咤され、いたたまれなくなりました。自業自得ですが、一時楽になりたいが為にしてしまった苦し紛れの行為が大きくなって帰ってきました。
それは、内部間での出来事だったので、直接患者さんにどうこうという所まで発展はしなかったものの、
最悪の場合、何かあったらもう少し大事になっていたかも知れません。幸い後手に回ってしまったのですが、捜していた伝票が見付かって、調べたら大丈夫だった事が分かったのですが、萎縮して仕事をすると思わぬ行動を取ってしまうものなんだとその時身を以て体験しました。
そうしてその日は、以降、就業時間まで伝票の仕分け作業をしておく様に指示され、項垂れつつその通り仕事をしました。

翌日、上司から仕事を任せるのが不安である風な事を言われ、それに更に萎縮してしまった私はすっかり自身をなくしてしまいまして、仕事に対して消極的になっていきました。
上司と接するのが恐怖で、疑問を感じてもそれを解消するのに必要な行動でも、無心の強さでぶつかっていく事が完全に出来なくなってしまい、調整業務も困難な物に関しては、しなくても結構となり、最終的にはコピーだとか、簡単な仕事ばかりを毎日する人になりました。

自分が撒いた種ですから、仕方がない結果だとは思いつつ、どうしても嫌だった事があったんです。
人手不足で忙しいのに、同僚に仕事を任せて、自分だけ簡単な仕事をこなさないといけないという事…。
ある意味拷問でした。
周囲はバタバタしているのに、電話も鳴っていて忙しいのに、以前は任されていて普通にこなしていた仕事が禁じられている…。
もう、いっそ殺してくれよ、的な…。
そして、上司からはお仕事を窓・端末業務の流れからは外れて、かねてより考えて欲しいと言っていた後方に移って貰う事になるけれどいい?と聞かれました。
つうか、もうそれしか道ないっしょ。前の計算係では私は要らんでしょ、と思いつつ、上司との軋轢を考えるとそうした方がいいと思います、と言って申し出を受理しました。
こっそり暴露しますが、挫折せざるを得ない自分の能力を呪いました。

その後、新しい部署の受け入れ準備が出来る間、忙しい事もあってしばらく調整業務をする様に言われていたのですが、その間、我慢してくれてはいたから直接文句を言われた事はなかったけれど、当時、調整の同僚スタッフが私が調整で担っていた分の負担が大幅に増えていまして、経緯と事情を知っていても、何でコイツ仕事せんのじゃあ!と私に対して思っていただろうと思います。
総括上司に、忙しいのだから仕事を彼女(=私)にもして貰って下さいと訴えてもいたみたいです。総括の上司はその人に対して彼女には仕事をしてもいいと再三言っていると答えたらしいですが。
私は正直そういう風には聞いていませんでした。こっそりやってきて。と依頼される事はあったけれど、忙しくなったら新人さんをサポートしてあげてね、的な事は聞いていましたけれど。

…元来うちの職場は、忙しすぎるせいもあるのでしょうが、全然足並みが揃っていない気がすると常々思っていました。

総括上司が内心で私が仕事をしてもええやんと思っていても、別の上司的には前例の失敗があるから、仕事をさせるのは不安だと思っていて、他の端末スタッフも私が簡単な仕事しか与えられていないという情報までしか周知されていない為に一切仕事を振ってくれなかったりする状況で、精神的にも参って弱り切っている私がなしくずしに強行突破して仕事をゲットするなんて芸当出来る訳ないじゃないですか。

しかも、どうしたってあの事件が尾を引いて後ろめたいし、上司の許可があって初めて仕事を任せて貰えるとしか考えられない私にとって、正に拷問…。地獄でした。
同僚からは負担が大きくなった分身体はしんどい。ある程度仕方がないとはいえ、元気なく仕事をしている私にも腹が立つと言われ、少なからず、ショックを受けました。
精神状態が悪いと、何を言われても凹むんですよ。再起不能…。何でもない風を装いながらも、結構ダメージを受けてる私。弱いなあ。(苦笑)
私からしてみれば、仕事を任されている人々が羨ましいですが、この辺思考に温度差があった様です。
調整を任されているパートさん達は辞めたい程に調整の仕事が嫌いでしたくないらしいので、根本で価値観が違う上に、やりたくもない仕事の負担が増えてる訳ですから、彼女たちにすれば腹立たしいと思う気持ちは自然なものなのでしょう。分かり合えない気持ちというものは存在するものなんですね。しみじみ思い知りました。

そんなこんなで、休み明け、連続して3日間仕事を休みました。
うち、最後の1日は無断欠勤です。
もう、理由をつけて連絡する事すら嫌になってました。

まず、懇意にしてくれていたリーダーさんから心配して連絡がありました。
謝罪しつつも、行かれなかった事情を簡単に説明して翌日は出勤しますと伝え、電話を切りました。
その後、総括上司からも連絡が入り、色々と諭されました。精神的に参って休んでしまっている事は分かってはったんだと思います。頭ごなしに文句を言われるのではなく、気遣いつつ話をしてくれまして、取り敢えず辞めたくても、辞める意志が具体的に固まっている訳ではない事を伝え、翌日出勤する事を約束して電話を切りました。

首になっても仕方がない状況というのは、こういう経緯があったんですね。
長くなりましたので、とりあえず今日はこの辺で終わります。
その後の事は、また明日にでも綴ろうと思います。