この世の全部を敵に回して

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復活

横浜なう!

正義

<正義>

1、正しいすじみち。人がふみ行うべき正しい道。

2、正しい意義または注解。

3、ア、社会全体の幸福を保障する秩序を実現し維持すること。プラトンは国家の各成員がそれぞれの責務を果たし、国家全体として調和があることを正義とし、アリストテレスは能力に応じた公平な分配を正義とした。近代では社会の成員の自由と平等が正義の観念の中心となり、自由主義的民主主義社会は各人の法的な平等を実現した。これを単に形式的なものと見るマルキシズムは、真の正義は社会主義によって始めて実現されると主張するが、現在ではイデオロギーを超えた正義が模索されている。

イ、社会の正義にかなった行為をなしうるような個人の徳性。

広辞苑より


正義とは一体なんなのだろうか?

検事鬼島平八郎をみていたら考え込んでしまった。

ドラマの中で鬼島は検事として正義を貫いている。

断固たる決意をもって巨悪と戦っている。

政治家の汚職を許さない。


一般的には正しいことが正義とされているが、「正しさ」って一体なんなのだろう。

法律や社会の倫理、道徳からはずれた行為は正しくはない、とされている。


自分の中の正しいと思うことを通すとき、それは法律や倫理からはずれても正しいのではないか?


よく人を殺してはいけないという。

でも復讐に関してみれば、法律からはずれてはいても世間の同情をかうには十分だったりする。

その復讐には当人にとってみれば、十分な「正しさ」があるのではないだろうか。


正義のことを考えると世の人々はとても正義を考えて行動とっているとは思えない節がある。

世の人々はとても利己的で自分のことしか考えていない人が大半ではないだろうか。

本当に人のことを思って行っている正義はどこにあるのだろうか。


それほど社会が欺瞞に満ち溢れている気がしてならないのだ。


少しでも自分の正義を考えて生きていきたいと切に願った。



雨-Rain-

なにを考えているのか自分でもわからない


前を見つめながら歩行する


それでもなにを見つめているのかわからない


対象物をさけるために目がついているのか


ただただ目的地に向かうために目はあるのか


人間の中心はどこか


人間の肉体の中心はどこか


答えは目


眼球こそが健常者の中心にあたるのだという


そんな話をどこかで聞いた


袖からでた手にポツリとなにかあたるのを感じた


それが雨だと気づいたのは5秒後


ふいに歩みを止めて空を見上げる


雲がきれいな灰色になっていることを今知る


だんだんと雨脚が強まってきた


雨に打たれていると自分が裸ではないことに疑問を感じる


どこかで雨の訪れを祝っている声が聞こえる気がする


また前を向いて歩きだす


人間の肉体の中心は目


そんなことをまた考えだす


外からの刺激で思考が遮断されるのがよくわかる


雨が新しい行動を与えた


目で捉えた雨はあまりにも漠然としていて真実をみつけらてない


一体何粒の雨が体に降りかかったのだろうか


一体何粒の雨がこの周囲に落ちていったのだろうか


捕らえることができないものを目は捉えることができる


眼球に映し出されたものは


その瞬間に時がとめられている


瞳に映し出された雨はいくらふろうとも


眼球を通して脳内に保存される


あっという間に記憶のちりなろうとも


その瞬間はまちがえない保存される


歩きながら考えることを考えると


それはどこか不自然な行為にも思えてくる


わからない


雨がなにか答えをもっているならば


教えてほしい


人間の肉体の中心は目である

手始めに。

何年かぶりにブログを再開しようと思った。

そして、今文章をインターネット上にさらけ出そうしている。

書くことは楽しい。

でも苦しいこともある。

そしてなにより「面倒くさい」が邪魔をする。


今まで日記やらブログやら、小説、詩などしたためてきたが、

改めて文章というものに向き合ってみると、そこには小さな

宇宙が存在していることがわかる。

違い言い方をするならば、社会が文章のなかにはある。

逆かな、文章があるから社会がある。

ここまでいくと言語の話になってしまう。


人間はなぜ言葉を持ってしまったのだろう。


ふいに疑問符として淀みない空から脳内に直接降りかかることがある。

言語の話は長くなるので、ひとまず置いておこう。


文章とは言い換えれば記録だ。


それは他者のため?

それとも自分のため?


前者は社会に残すことで脈々と引き継がれることもあれば、

たった一人のためだけに宛てたメッセージもある。

後者はフォトアルバムをめくるように、過去の自分を思い返す

貴重なてがかりとなる。


私にとっての文章は小さな宇宙を作ることかもしれない。

まだ歩みはじめたばかり。

これから見せていこうか。