フジコ・ヘミングさんが亡くなりました。

 

本当に残念です。

 

1月6日のコンサートの切符を購入しておりました。

 

7月に延期との事で切符を保持しておりましたが、先日中止の報を受け払い戻しをしました。

 

その矢先の訃報でした。

 

お怪我から回復なさったらまた演奏をお聞きする機会もあるものと思っていました。

 

こんなことなら払い戻しをせず、そのまま切符を所持していればよかったとも思います。

 

実は、数年前に長男とコンサートに伺おうと思って、切符を購入したことがあったのですが、都合により入蔵は行かれなくなり、義母と長男とで行ってもらったことがあるのです。

 

それはそれでよかったと思っています。

 

入蔵個人としては生の演奏をお聞きする機会を得る事なくお別れすることになりました。

 

無数の出会いと別れを繰り返すのが人生ですから致し方ない事でしょう。

 

フジコ・ヘミングさんのように直接の面識のない方とのお別れでも、悲しい気持ちになります。

 

ましてや、人生のある時間を、どのような形であれ、直に共有した方が亡くなるというのは寂しいものです。

 

正直、良い思い出ばかりでない出会い方をした方もいますが、それでも訃報に接すればやはり寂しい気持ちにはなります。

 

誤解を恐れずに言えば、寂しい気持ちになるというのは、入蔵は人生における出会いに恵まれていたという事なのかもしれません。

 

「人間死んだらどうなる」という問いがあります。

 

人間が死んだら火葬すれば骨と灰になり、土葬すれば最終的に土になるのでしょう。

 

間違いないです。

 

歴史に名を遺す人はいますが、遺すのは文字通り「名」です(墓やゆかりの遺物もあるかもしれませんが)。

 

亡妻も今は骨と灰です。

 

入蔵は毎日亡妻に語り掛けています。

 

しかし、入蔵は骨壺や位牌に語り掛けているわけではありません。

 

亡妻との懐かしい思い出を反芻することもありますが、入蔵が毎日語り掛けている亡妻は思い出の中の人ではありません。

 

今、入蔵の隣にいる妻に語り掛けているのです。

 

つまり、入蔵が語り掛けているのは生きている妻なのです。

 

その手に触れることはできませんし、残念ながら声も聞けません。

 

でも、この妻は生きており、入蔵が生きている限り、もう別れは来ないのです。

 

「入蔵さん、何言ってるの」とお思いの方もいると思います。

 

しかし、これが入蔵の実感です。

 

「結局、記憶、妄想の中でのことでしょう」と言われるかもしれません。

 

こういった感覚について、学問的な研究もあるかもしれません。

 

しかし、学問的な分析、解析をいくらお聞きしても、入蔵のこの「感覚」に変化が生じるとは思えません。

 

亡父母、某祖父母等にも語り掛けることはありますが、亡妻のように常に隣にいる感覚があるわけではありません。

 

病院の臨床心理士に不仲であると分析された夫婦関係です(この報告書を読んだ時、入蔵は少なからず衝撃を受けました)。

 

上記を読むと悲惨な夫婦生活を想像する方もいらっしゃるかもしれませんがそうとも言えません。

下記にご紹介する入蔵の五行歌集をお読みいただければご納得いただけるかもしれません。入蔵の友人は「50歳以上の男子の70%以上は読んだら泣く」と言っていました。

 

 

 

実際、生前の亡妻は入蔵に相当の不満を抱いていたと思いますが、亡くなった妻は今はいつも隣にいてくれるのです。

 

もちろん、生きているときこそ、お互いがお互いに対する愛情に満ち溢れた関係を築いて過ごすべきです。

 

ここまでお読みになった方の中にはきっと入蔵の身勝手さに辟易した方もいるかもしれません。

 

でも、亡妻は今も、入蔵の身勝手さに辟易しながらも、隣にいてくれます。

 

もともと他人だったのに。

 

入蔵はだらしのない性格で、一成人(老人)として、人に誇れる人生を歩んでいるとは言えません。

 

人から見たら、むしろ「哀れ」な人生かもしれません。

 

そんな入蔵の人生ですが、「人生」は本当にたくさんの良い出会いをくれました。

 

その筆頭は亡妻であり、子供達ですが、入蔵が出会ったすべての人、物事が心から「すばらしい」ものでした。

 

本当に入蔵は恵まれています。

 

これからどんなことが入蔵の身の上に起こるかわからないですし、冷静に評価すれば、今日も苦闘の人生を送っている入蔵です。

 

しかし、人からどう思われようとも、入蔵はこれまでの人生に自分としては心から満足しています。

 

何だかとりとめのない文章になってしまいました。

 

何が言いたいかわかりませんよね。

 

入蔵が言いたいことはただ一つです。

 

こんな入蔵でも、「素晴らしい出会いに恵まれる(恵まれた)という事実がある」ということです。

 

ましてや、皆さんにはもっと素晴らしい出会いがあったでしょうし、あるにきまっています。

 

もし、今このブログをお読みくださっている方の中に、ご自分に「そういう出会いが無かった」「今後もないに決まっている」と思われる方がいたら、「絶対にそんな事は無い」と申し上げましょう。

 

それがどんな形かはわかりませんが、必ずあります。

 

たとえそこに人の姿が見えなくとも、皆さんは日々の暮らしの中で、様々な出会いを繰り返していらっしゃいますよね。

 

着て、食べて、住んで、インターネットにつながっています。

 

出会いなくしてはこれらのことは起こりえません。

 

そして、少なくとも間違いなくこのブログを通して入蔵と出会っています。

 

そもそも、様々な出会いの結果、あなたがここに存在しているのですし、なんの出会いもなく送れる人生などありえないです。

 

ここまでお読みくださった皆さん、本当にありがとうございます。

 

入蔵はこの出会いに心からの感謝をささげます。

 

さて、ゴールデンウィーク、皆さんどうお過ごしですか?

 

お仕事の方も、休暇をお過ごしの方も、御無事で充実したお時間をお過ごしになりますように。

 

では、また(^O^)/