自分でも嫌になるくらいぐずぐずと先延ばししていた年賀状は29日の夜中に投函しました。

 

入蔵は29日、患者さんの予約は入れずに恒例の大掃除をしました。

 

大掃除の合間にも電話がかかってきます。

 

私も、スタッフもいてそういった電話を無視することはなかなかできません。

 

緊急時はいつでもおいでいただいて良いです(ただ、出かけているときもありますから空振りになることもあるかもとも)といつも言っているので、例年、そういう患者さんに対応しながら掃除もすることになります。

 

今年はそういった患者さんは少なかったです。

 

歯科医師会の緊急診療当番の先生も対応している日でしたから、そちらにみえた方は多かったのかもしれません。

 

緊急対応に一時間以上かかった方もいたので、空いていてかえって助かりました。

 

先週、20年以上乗って、バッテリーがいかれてしまった自転車を、ようやっと買い替える決心をし、新しい自転車を注文していました。

 

診療を終え、その自転車を取りに行きました。

 

今までの自転車のほぼ半分の重さのアルミ製の自転車です。

 

古い自転車への哀惜の思いより、新品の自転車の軽快な乗り心地に心を奪われてしまいました。

 

家に帰り、食事をとり、いよいよ年賀状書きを始めることにしました。

 

まず、喪中はがきのチェックから始めます。

 

今年は例年になく多かったです。

 

御葬儀のご連絡が無く、喪中はがきで亡くなったことを初めて知った方が何人もいらっしゃいました。

 

ご葬儀の連絡があった方も、葬儀を終えてからの連絡がほとんどでした。

 

また、最近は葬儀の連絡がメールのみという方もいて、入蔵が見落としていた方もいらっしゃいました(後で気づきました)。

 

そういった連絡では、ほとんどが「御供花、御香典は辞退いたします」となっており、そういったご家族にどのようにお言葉をかけてよいか入蔵は悩んでしまい、お手紙すら書けずじまいでいます。

 

書かない前からいろいろな思いにとらわれてしまうのです。

 

歴史家(日本近代史)、思想家の渡辺京二氏が25日に92歳でなくなりました。

 

一月の落語会では入蔵は毎年「初天神」ばかり高座にかけます。

 

テーマは勿論ですが、かわいらしくも若干こまっしゃくれた子供と、稚気あふれる父親とのやり取りがとても軽やかで面白く、内容も正月にふさわしい噺です。

 

この噺をするとき入蔵はいつも、渡辺氏の著書「逝きし世の面影」を思いだします。

 

 

 

「ヒューブナーも言う。『玩具を売っている店には感嘆した。たかが子供を楽しませるのに、どうしてこんなに知恵や創意工夫、美的感覚、知識を費やすのだろう、子供にはこういう小さな傑作を評価する能力もないのに、と思ったほどだ。聞いてみると答えはごく簡単だった。この国では、暇なときにはみんな子供のように遊んでたのしむのだという。私は祖父、父、息子の三世代が凧を揚げるのに夢中になっているのを見た。』(平凡社ライブラリー552 「逝きし世の面影」2009年9月11日初版第19刷 p409 ヒューブナーの著書からの引用部分。以下引用部分はすべて「逝きし世の面影」からで、ページは同書での記載場所)

 

「日本人の大人は子どもを自分たちの仲間に加え、自分たちに許される程度の冗談や嘘や喫煙や飲酒等の楽しみのおこぼれを、子どもに振舞うことをけっして罪悪とは考えていなかった。すなわち当時の日本人には、大人の不純な世界から隔離すべき“純真な子ども”という観念は、まだ知られていなかったのだ。」(同書p417)

 

「ふたたび言う。子どもを可愛がるのは能力である。だがその能力はこの女人(入蔵注:中勘助の小説『銀の匙』に出てくる“伯母さん”のこと)だけが授かっていたのではない。それはこの国の滅び去った文明が、濃淡の差はあれ万人に授けた能力だった。」(同書p419)

 

直前の引用部分で「滅び去った文明」というのは「江戸時代の日本」の事だと思っていただいてよいと思います。

 

渡辺氏は「江戸時代」という文明は明治、大正に受け継がれてはおらず、江戸の終焉とともに滅びたと考えていらっしゃるようです。

 

この著書は当時の欧米人観察者のいわゆる「子供の楽園」論の引用をもとに書かれた部分が多いです。

 

したがって、氏は「第十章 子どもの楽園」を閉じるにあたり

 

「最後に欧米人観察者の『子どもの楽園』論に対しては、当然日本人の側から反論があることを紹介しておきたい」(同書p420)としてその反論に反論しています。

 

この著書については「著書全体を通して、欧米人観察者の視点で書かれており、当時の日本人からの視点に欠けている」のではないかという批判もあるようです。

 

入蔵は「そうですか、それならどうかそういう視点からの、この著書と同じような内容のあるご著書を是非お書きください」と思ってしまいます。

 

ただ、入蔵はこの分野への造詣は全くないので、このブログでの入蔵の引用箇所、引用部分の解釈等に誤りがあるかどうか判断がつきかねます。

 

読者諸氏におかれましては「逝きし世の面影」を未読の方にはお読みいただきたいですし、よくご存じの方には是非、御教示、ご指導くださいますよう

お願い申し上げます。

 

 

 

 

 

 

さて、入蔵の文章は際限なく様々な方向に進みそうです。

 

大晦日、お忙しい皆さんにご迷惑をおかけすることになりそうです。

 

この辺で、筆を擱こうと思います。

 

今年も流行り病、戦争等に振り回された一年であったように思います。

 

でも、とにかく、入蔵は皆さんにこのブログ(駄文)を読んでいただけた(「いいね」まで頂戴できたなんて!)だけで、「良い年であった」と思えるのです。

 

さらにはフォロワーになってくださる方もいらっしゃるなんて!

 

皆さま、本当にありがとうございました。

 

心から感謝いたしております。

 

皆様にとって来年が本当に良いお年でありますように

 

では、また(^O^)/