先週、叔母から電話がありました。

 

「誤解されると困るんだけど、毎年三が日に送ってくれる○○のお寿司、今年から無しにしてくれない? 正直食べきれないの」

 

この叔母のところはもう叔父はなくなっているのですが、毎年三が日に叔父側の親戚が集まるという事なので、少し多めの柿の葉寿司の詰め合わせを送っています。

 

しかし、コロナ禍で親戚が来なくなっており、食べきれない状態が続いていたようです。

 

「それはもうしわけありませんでした」

 

「でね、気を遣わなくていいから、他のものも送らないでね」

 

「わかりました」

 

「それとね、○○おばちゃんと、△△おばちゃんのところにも送らなくていいから。二人とも食べきれないからそう言っておいてだって」

 

「わかりました」

 

後の二人の叔母は三人家族、二人家族なので、それに見合った量と思われる詰め合わせを送っていたのですが、多分、いわゆる有難迷惑だったのでしょう。

 

お寿司、それも正月に届くのでは、ありがた迷惑な品物の処分に困るのはよくわかります。

 

叔母のところにはまだ送る手配をしていなかったのですが、他にお送りしているところがあり、「ご迷惑をおかけしているのでは?」と心配しています。

 

入蔵はお歳暮でなくお年賀の品をお送りしているお宅が数件あるのですが、そこもどうしようかなと思っています。

 

入蔵自身はいろいろな方からいろいろなものを頂戴するのですが、「困った」とか「迷惑」とか思ったことが無いです。

 

お送りくださる方がいろいろとご配慮してくださって、それが入蔵家にとって適切だという事なのだと思います。

 

入蔵は今日、午前中に用事を済ませ、午後、庭の柚子の収穫をしました。

 

毎年、冬至に間に合うよう、ご近所と知人のところに差し上げているのです。

 

受け取ってくださるときはどなたも喜んでくださっているように思えるのですが、「実はありがた迷惑なお宅もあるのでは?」と思ってしまい、今年は配りに行くときにちょっと複雑な気持ちでした。

 

全く自然に任せて生った実ですから業者のように立派ではありません。

 

数軒のお宅からは「生ったらください」と言われているので、そういったお宅には「心穏やかに」お持ちできます。

 

お年賀も、柚子も、お入り用でなければ廃棄していただいてもちろん結構ですし、「お回し」も、お役に立つのですから「大歓迎」です。

 

ほんの数時間の収穫作業だったのですが、今、結構身体が痛いです。

 

それでも、明日の仕事の準備はしなければなりません。

 

色々準備をして、最後に待合室の日めくりをめくったところ、月曜の格言は

 

「過ぎたるは、及ばざるがごとし」でした。

 

もっと前に目にしていればよかったような気もしますし、今だから身になる言葉のような気もします。

 

入蔵複雑な気持ちです。

 

さて、もう、今年も残り少なくなってまいりました。

 

皆さま、ご自愛の上、お互い今週もそれなりに頑張りましょう。

 

では、また(^O^)/

 

12月の折り紙もとうの昔に出来上がっています。入蔵の怠慢でアップしていないだけです。

明日、夜アップします。