「感じが悪い」という事があります。
どこがどうという事では無いのに「感じが悪い」
「どうしてだろう」と考えます。
入蔵の場合は、いわゆる「取り付く島が無い」という感じがする時に「感じが悪い」という印象を受けるようです。
次男が飼っていたハリネズミが死にました。
次男は「ハリ坊」と名付けていました。
ある程度成長した個体を買って、三年半くらい飼ったので、「短命」とは言えないでしょう。
飼い方によってはある程度ヒトになれることもあるそうですが、先述のようにある程度大きくなってから買い始めたこともあり、全く人に慣れる様子はありませんでした。
入蔵がごくまれに様子を見に行くと、餌をやるとき以外は全く姿を見せず、姿を見せる時も、入蔵に愛想を見せることはありませんでした。
感じ悪かったです。
餌をやるためにケージの扉を開けるとそれに気づき、とことこ寝袋から出てきて餌を食べ、食べながら💩をぶりぶりして、食べ終わるとすぐ戻る。
夜中にホイールの中を走りまわっているのですが、こっそり見に行くと止まってこっちをじっと見ると言った具合でした。
ハリ坊が死んで、入蔵はどうだったかというと、
何故か「とても寂しい」のです。
我ながら不思議です。
どこまでもマイペースのように見え、たいして交流もしていない、自分ではなく自分の子供が飼っていた小動物の死。
「感じ悪い奴」だったのですけれど。
冷静に考えれば、ハリネズミというのは「そういう動物」であるので、「感じが悪い」というのは、ただただ入蔵の心のありようの問題なのです。
死んでしまえば、ハリ坊の愛想のない様子、誰も見ていないのに一心不乱にホイールを回す姿が、とても愛らしく、懐かしく思いだされる。
「感じ悪い」も、「愛らしい」も「懐かしい」も皆入蔵の心のありようから生み出された感情です。
普通に生活していれば、心は常に揺れ動いています。
思う方も、思われる方も。
人は平常心を常に保つことは難しい。
当たり前です。
入蔵も、時には自分の心の持ちようにより、接する人に「感じ悪い」と思われることもあるかもしれません。
ただ、入蔵にできることは、自分がある人について「感じ悪い」と思った時、「自分の心のありよう」にも気をつける事だと思います。
よく考えれば、何事に対しても、「自分の心のありよう」に気をつける必要はあるに決まっています。
いい歳をして今更のようにこんなことを書いている入蔵。
本当に恥ずかしいです。
つい先日、もう少しで90歳になる患者さんが、入蔵の診療所に来院するなり受付で、「この頃はただ生きているだけで精一杯です」とおっしゃっていました。
とても切ない言葉です。
でも、その方の「精一杯に生きているぞ」という宣言でもあると思いました。
入蔵も、この恥ずかしい思いを抱えて精一杯生きていくしかありません。
この記事を書き始めるまでは、入蔵が「感じ悪い」と思った数々のエピソードを具体的に書いて、「感じ悪い」の正体に迫ろうと思っていたのですが、何だか全然違う方向に向かってしまいました。
本当にお退屈様でした。
お退屈様といえば、27日のおさらい会で披露した新作落語「良い子の歯科健診」は結局、目標の20分では収まらず、23分かかってしまいました。
高座に上がるとつい「余計な話」をしてしまう自分の「性」を抑えることはできませんでした。
でも、お客さんには結構笑ってもらえました。
高座を降りてから、師匠に「この噺はいけています。今後も高座にかけていけますよ」といっていただけました。
この噺についてはまた別記事をあげたいと思います。
まずはご報告まで。
では、また(^O^)/