父の時も女房の時も息を引き取る瞬間に立ち会えたので、「今、息を引き取った。亡くなったのだ」という実感がありました。

 

そのために入蔵は、その死を素直に受け入れることができたように思います。

 

死が実感できたのです。

 

入蔵は志村けんさんの死を全く実感できません。

 

もちろん個人的に存じ上げない方なのですから、家族、親戚の死とは違うのが当たり前です。

 

それでも、普通、著名人が亡くなったというニュースを聞けば、「ああそうなのだ。もうこの世にいないのだな」と納得できます。

 

しかし、志村さんの場合は、志村さんはどこかで生きていて、また、生きている志村さんに会えるような気がするのです。

 

入蔵にはこの感覚をうまく表現することができません。

 

ましてやこういう感覚がなぜ生じるのかわかりません。

 

心理学的な答えがあるのかもしれません。

 

インターネット上で入蔵はその答えを探してみましたが、答えは見つけられませんでした。

 

葬儀の時に高木ブーさんが「志村は死なないの」とおっしゃったようで、その言葉が皆さんの共感を得ているようです。

 

たぶんそれは、皆さんが高木さんの言葉を「志村さんの仕事が、思い出として皆さんの心に残り続ける」という解釈をされているためではないかと思います。

 

高木さんの真意は高木さんがおっしゃらない限りわからないと思います。

 

でも、入蔵にはなぜか「死なない」という事が、そういう意味ではなく、今入蔵が感じているような「本当に実態として生きているような感覚」、「志村さんが、明日、ひょっこりと現れてまた会えるような感覚」なのではないかと思えるのです。

 

入蔵にとって「志村は死なないの」という言葉は、その意味で納得のいくご発言でした。

 

高木さんは志村さんと長い個人的なお付き合いがあったのですから、入蔵の想像の及ばない感覚、思いがあることでしょう。

 

最近数年の入蔵の夏の楽しみの一つは「志村魂」に行くことでした。

 

昨年は入蔵が行かれるはずだった日が休日診療当番の日に当たってしまい行かれませんでした。

 

「来年行けばいいさ」と思ったその来年の公演が無くなるなど全く想像もしていませんでした。

 

テレビと違い、切符を買って来ているお客さんたちです。

 

「教育に悪い」「くだらない」などと文句を言う人はいないでしょう。

 

志村さんも他の出演者もお客さんも「仲間なんだ」という雰囲気、いわば連帯感のようなものが劇場にありました。

 

お互いにリラックスしている雰囲気があるのです。

 

もちろん出演者の方々は真剣に舞台づくりに取り組んでいるのでしょう。

 

しかし、とても真剣に取り組んでいる様子の志村さんの「津軽三味線のコーナー」でも、客席と舞台上の志村さんの間には、緊張感が漂う中にも「何か温かい気持ち」の交流があるのです。

 

正直、例えばコントのコーナーでも、このコントはこういう流れになるのではという予想がたつ舞台なのです。

 

もちろん予想通りだったり、予想が裏切られたりするのですが、どっちになっても「やっぱり笑っちゃうよね」なのです。

 

「わかっているけれど笑っちゃう」「昼の部夜の部同じ日に見ても同じように笑っちゃう」のです。

 

「舞台を心から楽しむ」

 

「心の底から笑える」

 

良い観客になろうとしなくても、良い観客になれてしまうのです。

 

幼児から、本当にご高齢の方までいらっしゃる満員の客席に、波打つような笑いが起こる。

 

笑っている自分たちに気づいて、つい笑ってしまうような楽しさ、面白さがありました。

 

長い舞台です。

 

休憩時間の売店で、幼稚園児も、50を過ぎたおじさんも、20代とおぼしきお姉さん(あえてお姉さんと言わせていただきます)も、バカ殿さまのちょんまげのおもちゃのカツラを買い、さらにそれをかぶって後半の舞台を鑑賞する人もいるという楽しい舞台でした。

 

このコロナ禍、志村さんが元気で生きていらしたら、私たちはどんなに救われたことでしょう。

 

今、優れた「お笑いの人」はたくさんいますが、相手の年齢に関係なくまんべんなく笑わせてくれる人はいません。

 

本当にいないのです。

 

それができるのは「志村けん」だけでした。

 

「志村けんの『最後の功績』」などというふざけた発言をして非難されている人がいます。

 

確かに「『功績』ってどういうつもり!」とは思います。

 

入蔵はまだ歯科治療を続けています。

 

昨日来院した20代の女性が、「志村さんが亡くなった次の日、友人と遊びに行く約束をしていたのですけれど、やめました」とおっしゃいました。

 

たぶん親御さんやご兄弟から止められていた「お出かけ」を自らやめたのです。

 

同じような判断をなさった方々は、かなりいたのではないでしょうか?

 

とにかく事実として、外出を控えた人が二人はいたということを入蔵は知っているのです。

 

メンテナンスや予防の人においでいただくのはなるべく(どうして「なるべく「」になってしまうのかについては別記事にいたします)ご遠慮いただいていますが、「歯が折れた」「痛い」「腫れた」という人を拒むことはできません。

 

休業は難しいです。

 

自分やスタッフの健康を考えたら、休業すべきかと思いますが、必死で電話(今は、患者さんからの電話の第一声は「診療していますか?」がほとんどです)してくる患者さんの「よかったあ」という声を聞くとなかなかその決心がつきません。

 

持病を抱えた先生方は、本当に「命懸け」の気持ちで診療していることでしょう。

 

歯科のように直接患者の唾液、体液に触れる可能性のある診療科でなくとも、どんな診療科でも、医師、看護師各位をはじめとして、医療現場で働くすべての方が自分の生命を危険にさらして働いていらっしゃいます。

 

実際にコロナウィルスによる感染症にり患している方の診療に従事している先生方のご心労はいかばかりでしょうか?

 

体力的にも、精神的にも本当に大変な状況にあると思います。

 

それら各位に心からの尊敬と謝意を捧げます。

 

とにかく入蔵は来週も注意に注意を重ねたうえで診療をいたします。

 

発熱ばかりでなく、味覚の異常、体調の不良等を感じたら受診を控えて、厚生労働省、各都道府県の相談窓口にご相談ください。

 

今は、歯科医院の予約は患者さんの数を減らし、患者さんの診療時間が重ならないようにしているところが多いと思います。

 

マスクの効果については様々な意見がありますが、念のため患者各位はマスクをご用意の上、歯科診療所にお出かけいただいたほうがいいと思います。

 

諸事情により、歯科医院ごとに対応について細かな違いがあります。こういう状況ですから、予約するときに、感染症対策にかかわる諸注意をお聞きの上、それに対応した準備をしてお出かけいただいたほうがいいと思います。

 

志村さんの話を面白おかしく書いてお喜びいただこうと思いましたが、ちょっと違う方向に向かってしまいました。

 

とにかくご自分のできる範囲で最前を尽くし、コロナウィルスによる感染症にならないようにご注意の上おすごしください。

 

では、また。

 

入蔵も元気で皆さんにまた新しい記事をお届けできれば本当にうれしいです。