「お仕事で大変でしょうから、先生のところは飛ばそうってみんなで相談しているんです。飛ばしてもいいですか?」

 

入蔵の隣家の大奥さんが、予約の患者さんが済んで一段落した入蔵の歯科医院にやってきました。

 

「ありがとうございます。ご配慮いただいてもうしわけありません。もう少し考えてみますが、多分お願いすると思います」

 

我が家の駐車場の入口がご近所のゴミの集積所になっています。

カラスがそのゴミをしばしば荒らすことから、ゴミ全体を網でカバーすることになりました。

使わないとき網はご近所のお宅の駐車場においてあり、ご近所が順番にゴミの収集日にそこから出し入れするのです。

 

入蔵が寡夫で、診療の都合上、日中に網の出し入れをするのは大変だということをご近所の方で「井戸端会議」し、入蔵を順番から外してくれることになったようなのです。

 

それをわざわざ伝えに来てくださったのです。

本当にありがたいことです。

 

「はい、わかりました。でも、順番は飛ばすようにしたら良いと思いますよ。ああ、そうだ〇〇(入蔵の名前)ちゃん、お庭のイチジク採ったの? 食べ頃だったものね」

「いえ、もう採ろうかなと思っているのですが、まだ」

「あらそう、じゃあ誰かが盗ったのね。なくなっているわよ。うちのお父さんが、大切にしていた盆栽も、盗っていこうとした人がいて、ちょうどそこにお父さんが行きあわせたことがあったのよ」

 

入蔵の家の庭は、人通りの少ない小道に面しているのです。

 

イチジクは本当になくなっていました。

 

入蔵のなくなった母はイチジクが本当に好きでした。毎年、イチジクがなるのを楽しみにしていました。

 

入蔵は庭の手入れが悪いせいでしょうか、最近は実の数がめっきり減りました。今年は3つしかなりませんでした。

 

でも、母の仏壇に供えるにはちょうどいい数です。

 

仏壇に食べ物を供えても、死んだ者が食べられるわけはないです。

 

でも、仏壇の水を換え、位牌に語りかけ、お供え物をするとき、生きている父、母、妻に相対している時と入蔵の気持ちは全く変わりません。

 

「お母さんに庭のイチジク食べさせたかった」です。

 

せめて、一つだけでも残してくれたらなあと思います。

 

入蔵に「庭のイチジクもらってもいいですか?」って聞いてくれたら、二個はあげたと思います。

 

買えばいくらでもないから持っていっても構わないと思ったのでしょうか?

 

持っていかれた方の気持ち、事情に思いを馳せることはなかったのでしょうか。

 

ちゃんとした生産者が作った立派なイチジクを買ってもそれほどの値段でもないでしょう?

 

遠くから来た人が採っていたとも思えません。

 

そうして、手に入れたイチジクって美味しいのでしょうか?

まあ、美味しいと思うから採っていったのでしょうけれど。

 

今日は、ご近所の人の優しさに触れて嬉しい気持ちになったり、心の卑しい人の仕打ちに悲しい気持ちになったり、心が揺れた一日でした。

 

でも、盗る方でなく、盗られる方で良かったです。

 

母には立派でおいしいイチジクを買ってくることにします。

 

それもまた良し。

 

と、

思うことにしましょう。

 

では、また(^O^)