入蔵の世代だと、女房が新しい服を来ていたり、髪型が変わっている時は、それに気づいていないと「いけない」というわけではありませんが、「気づいていることが望ましく]、「気づいていることが女房にわかっている」ことが大切でした。

 

と、断言するだけの根拠もないのですが(調べればあるかも知れません)、少なくとも、入蔵はそう思っていました(そう対処していました。というかそう対処していたつもり。でも、女房からしたら、どうだったのだろうか。あの世で、どう思っているのかな。きっと、鼻で笑っているかも・・・)。

 

ですから、従業員の髪型が変わっていたり、靴や持ち物が新しくなっていると、つい、本人に気づいていることを知らせたほうが良いのではないかと、いわば本能的に(そんな本能はありませんが)思ってしまいます。

 

でも、患者さんからのテレビ情報によると、入蔵がそれを言うと、「セクハラ」に当たるのだそうです。

 

いわゆる「セクハラ」には基準があるでしょうか。

 

多分基準がありそうですが、する方も、される方も、主にテレビや雑誌から、それに関する情報を得ているようでは心もとないです。

 

入蔵が、この間、図書館で「江戸のお金」について話をしてきたのは読者の皆さん(この所、記事を更新していなかったので、アクセス数は13くらいですから、「皆さん」ではなくて、「あなた」ですけど)はご存知でしょうが、そこで、御定書百箇条の話をしました。

 

ごく簡単にいえば、吉宗以降の江戸の刑罰はこれに基づいてくだされていたのですが(あくまでごく簡単にいえばということです、「間違っている!」などと食いついてこないでくださいね)、これは、その具体的な内容を知っているのは、公式には、勘定奉行、寺社奉行、町奉行(南と、北)、京都所司代、大阪城代の六人ということになっていたので、どういうことをすると、どういう刑がくだされるのか、直接的にはこの人達以外は知らないということになります。この場合は、それも、犯罪の発生の抑止力になっていたようです。

 

入蔵は、これをちょっと思い出してしまいました。

 

入蔵のところの従業員はもう、二十年近く勤めていてくれますし、入蔵がそんなことを言う前に、従業員同士で「髪切ったんだ」「そうそう、どう?」などという会話を交わしているので、実際には入蔵は、その会話に乗っかるだけというのが、最近の実情です。

 

でも、正直、この所、入蔵は従業員と世間話をし辛い感じです。

口から先に生まれてきたような入蔵はちょっと気詰まりです。

 

入蔵がいえば「セクハラ」でも、同僚、家族が言えば、内容的には遥かにきついことを言っても「セクハラ」にはならないこともあるでしょう。

 

まあ、そうなると、「いじめ」「虐待」という問題が生じてくるのかも知れません。

 

と、いうようなこともあり、入蔵は、このブログに書けること、書けないことの線引をどうするかについてちょっと悩んでいます。

 

正直に言うと、それも、この所の更新頻度の低下の一因です。

 

でもねえ、アクセス数13のブログですからね。

今、読んでくださっている「あなた」が良ければいいわけですからね。

 

どうですか?

 

などと、失礼な丸投げをして、この記事は終了!

 

ではまた(^^)/

 

一つの記事に、あまり話題を詰め込み過ぎもよくなさそうなので、しばらくは、一つの記事の中でなるべく話題を広げすぎないようにしようと思います。