この頃、五行歌のテーマに苦しむ入蔵は月初めの五行歌の締切近くになると、一月分のブログを読み直し、五行歌のネタを探しています。
とってもせこいです。
10月のブログを読んでいて、自己嫌悪に陥ってしまいました。
日記でもなく、エッセイでもなく、ア◯ゾンの書評なら、「何がテーマで、何を書きたいのかわからない」くらいは書かれそうです。
書いた本人がこう書かれても「なるほど」と思ってしまうブログです。
そんなものなのに、「いいね」付けてくださる方がいるなんて奇跡です。
本当に有難うございます。
ただ、相当いいことを書いたつもりになっていても、大概は数百年、場合によっては数千年前に言われてしまっているのです。
入蔵ごときが、どんなことを書いても、文明史的にはたいして意味がありません。
かの「週間◯春」などは文◯砲などと言われておりますが、黒岩涙香が自身が創刊した「萬朝報」に連載した「弊風一斑 蓄妾の実例」の凄まじさに比べれば、まだ、穏やかです。
この連載記事に関してはインターネット上にも、詳しいブログが種々ありますので例によって入蔵はそちらをご覧になることをおすすめします。
黒岩涙香は明治期に活躍した作家、翻訳家、新聞発行人(記者)です。
入蔵が少年の頃には涙香の翻訳した推理小説が、少年少女文学全集に掲載されていました。
市井のいわゆる一個人から、犬◯毅、森◯外、浅◯総◯郎など、政、財、文化等ジャンルを問わず、妾を持った本人ばかりでなく、相手(妾)の親をも含めた氏素性、蓄妾に至った経緯等を、妾宅に至るまで詳しい所番地を含めて、記事にしています。
記事は微に入り細に渡り、月々の手当の額や落籍の費用まで書いてある例もあります。
子供は親を選べないのですから、子供には全く罪がないにも関わらず、生まれた婚外子の名前まで書いてしまっています。
本当に気の毒です。
ひどい話です。
萬朝報がこの記事を掲載した明治時代は、現在と違い個人情報の保護に重きを置かれていなかった時代でしたが、この記事(も含めた萬朝報の個人攻撃の姿勢)についてはかなりの批判があったようです。
入蔵は先程、「ひどい話」と書きました。間違いないです。
でも、この記事が書かれた明治時代は、妾を持つことに対する社会の見方も現在とはかなり違っています。
ですから、こういった本を読む際はその点についての考慮が必要です。
正確な表現では無いと思いますが、「社会学的な見地からは、個人情報の暴露、女性蔑視等種々の問題がある」と言えるでしょうが、今とは違った倫理観を人々が持っていた時代だということも事実です。
歴史を学ぶ場合、批判的に考えることは重要だと思います。
しかし、歴史を楽しむ場合は、現代的な視点から、批判的に考えるという姿勢の他に、その当時の倫理観に身を委ねるという姿勢もあると思います。
入蔵は本当に下手な素人落語を、楽しんでしています。
素人の「お楽しみ」ですから、どうやってもいいと思っています。
でも、以前個のブログに書いたように、噺の世界観を壊すような、「現代的(!)な入れ事」をしないようにしています。
いくら面白くても、嫌なのです。
入蔵が噺ごとに想定した時代背景、倫理観に合うように噺をしたいのです。
本日のブログ、話の流れに少々無理がありますよね。
今日は
「普段は、機関銃のように話にギャグ入れっぱなしの入蔵が、落語になるとそれほどでは無いのはなぜ?」という、皆様から(指南所の面々だけか(^o^))の質問に答えてみようと思ったのです。
ちょっとくらいはわかっていただけたでしょうか?
なんちゃって、偉そうに。
さて、明日(正確には今日)は寅さん記念館で「饅頭こわい」です。
指南所の落語会のご常連さんには「またか」でしょうが。
ではまた(^^)/