これ、色々な人にお聞きしているのですが、今だに答えがわかりません。

人には、それぞれに大事にしている言葉があります。

入蔵が最も大事にしているのは「正しければ平気で人を傷つけても良いのか?」という言葉です。

入蔵の記憶では、これは遠藤周作の著作の中にあった言葉だと思います。ただ、言葉はこの通りであったかどうかはわかりません。でも、こういう意味の言葉には間違いありません。入蔵はずっと、氏の著作「フランスの大学生」の中に記載されていたと思っていました。しかし、この間確認してみると、どうもそういった記載はないようなのです。入蔵は慌て者ですから、見落としているのかもしれませんが。

そうなってみると、「もう気になって気になって成仏できない」気分です。

このブログをご覧の方で、ご存じの方があったら、ご教示願えないでしょうか。よろしくお願いいたしますm(_ _)m。

入蔵は今まで、数々の舌禍事件を起こしております。入蔵本人は、そんな気が全くないにもかかわらず、言葉によって人を傷つけることが多々あるようなのです。

そこで、「正しければ平気で人を傷つけても良いのか?」ということを、常に考えるようにしております。それでも、うちの息子達に言わせると思慮が足りないということが度々あるようです。この「あるようです」というのも、他人事チックな感じがします。自己嫌悪です。

けれど、この言葉を知っているのと、知らないのとでは、だいぶ違うような気がします。「あれだけ膨大な本を読んで、膨大な時間を読書に費やして、これだけ?」と、考えれば虚しいかもしれませんが、もしかしたら、「これだけ?」もつかめなかった人生かもしれませんからね。

素人の入蔵が、読書に費やした、時間とお金が無駄だったかどうかについて考えてみると、批評家や、作家、研究者の方々のように、本を深く読めていないかもしれませんが、素人の入蔵には、「本を読むことに、ただただ喜びを感じていた」という事実があります。それがあれば素人の読書としては、満点にしても良いのではないかと思っています。時間とお金を使って、喜びを得ていたのだから。

人生の目標を何処に置くかという議論は、果てしなく続いています。

「人として、生まれたからには、どのくらい社会に貢献できたか、あるいは出来るかということを第一に考えるべきだ」という考えも、もっともです。

でも、自分を楽しませるということを第一に考える人生だって、あってもいいと思います。

入蔵は、自分を楽しませることを第一に考えて、落語をしています。で、落語の何が、入蔵を一番楽しませるかというと、入蔵の噺を聞いて、人が笑っているのをみることができる事です。

だから、ここだけの話、入蔵がトチッて、お客さんが余計笑ってくれるなら、入蔵的には正直問題ありません。これ、絶対秘密ですよ。不真面目だと、師匠に怒られるかもしれないから。

さて、ここまで書いて、急に、疲れが来ました。

頭も回らないので、中途半端ですが、今日はここまでにします。

明日は、午前中診療をしてから、東京ビッグサイトで開催されている第23回東京国際ブックフェアの、第五十回造本装幀コンクールの展示会場に行きます。入蔵の本「瀲灧」も展示されているはずなので。

もし、無事に行けたら、その様子を少し、お話しようかな? ではまた(^^)/