「気持ち悪い」という言葉、非常に強い効力を持つと感じています。

 

男性のセクハラ的な言動に、「怖い」と言うとやめないのに「気持ち悪い」と言うとやめるという話もあります。

 

「気持ち悪い」は「恐怖」を薄めた感情だとも。

 

生理的な嫌悪感、理由なく感じる気持ち悪さは、被害を受けることから逃げるためのセンサーになることもあるでしょう。

 

発達障害があるなどの理由で「気持ち悪い」が感じられないことで加害を避けられない、逆に対応するお薬を服用することで「気持ち悪い」を感じられるようになったなどの話もあります。

 

ですが、最近下校途中の高校生で満員の列車に乗っていたときにこんなことがありました。

 

駅のホームに列車が着くときに、高校生たちが「気持ち悪い」「気持ち悪い」と口々に言い、まるでパニックのようになったのです。

 

どうやら、ホームで列車を待ち立っていて、到着する列車を見ていた男子高校生のことを言っているようでした。

 

列車を降り、改札に向かうまでも「気持ち悪さ」について話しあう高校生もいました。

 

その姿はまるで「気持ち悪い思いをさせられた自分たちが被害者」とでも思っていそうです。

 

だけど実際はホームに立って列車を待っていた、ただそれだけなのです。

 

当たり前のことをしている相手を、悪し様に罵る自分たちが正義とでも思っているようです。

 

自分たちの感性は、他人の尊厳を傷つけてでも守られるべきだと考えているのでしょうか。

 

そういった行為がエスカレートして、差別や虐殺に繋がっていった例は歴史上、いま現在も多くあるように思います。

 

人間は動物であり、生物であって、人工物のように整頓されたものではありません。

 

どんな人間であろうと、「気持ち悪さ」「薄気味の悪さ」を内包したものだと思います。

 

現に、列車の中で「気持ち悪い」と口々に言い、どこがどのように気持ち悪いのか興奮したように喋る高校生の集団は、わたしにとって数時間不快になるほど気持ち悪かったです。