わたしがおばあちゃんというと、血の繋がった実の祖母ふたりではなくて父の養母のことなのですが。
わたしは祖母に厭われていました。
そもそもわたしが生まれたこと自体、気に食わなかったようです。
母がわたしを出産して、病院から帰ってくるとき。
実家ではないとはいえ、上にふたり小さな子どももいる嫁が出産して帰ってくるといったら、姑としては家のことを多少はしてくれると思いますよね?
祖母は当てつけのように「具合が悪い」といって布団にこもっていたそうです。
わたしの顔も見ることなく、出産直後の母に寝床まで食事を運ばせていたそうです。
父が友人たちにわたしが産まれたお祝いをされたといったら、烈火のごとく怒ったんだそうです。
赤子のわたしに危害を加えることがあったため、同じ家に居ながらにして、母はわたしを祖母に会わせずに常に自分の目の届くところにいさせないと怖くてたまらなかった時期もあったそうです。
わたしが話ができるくらいに成長したとき、祖母は自分自身の人生がいかにつらく、ひとに酷いことをされ、かわいそうなものだっかをひたすらに話して聞かせました。
赤子は何もできないからいらないけど、話ができて動けるようになったら自分が被害者でかわいそうな存在であることをただひたすらに肯定してくれる存在、階段で手を引いたり記念日に贈り物をしたりしてくれる自分に愛を向けてくれる存在として使えると思ったんでしょう。
わたしは、祖母にとってそういう存在としてしか必要とされない子どもでした。
子ども心に何時間も続く、祖母の「かわいそうなわたし」の話をひたすらに聞いていたら、いつか「自分にはいいこともあった」と思ってくれるんじゃないかと思っていました。
実際に、「おばあちゃん、いいこともあったんでしょう?」と尋ねたこともあります。
祖母の答えは、「そんなこと、一度もなかった」でした。
その答えを聞いたときの、こころのなかが真っ黒になるような無力感、どうしようもなさを今もおぼえています。
こころの傷が深いときに、自分をいっさい否定しない相手と話したいという気持ちはあるでしょう。
わたし自身も定期的にカウンセリングを受けている身です。安心して話せる相手と話したいという欲求はわかります。
だけど、たとえそうするのに都合の良い相手であったとしても、小さな子どもにそれをしないでください。逃げられない子どもにそれをしないでください。
そのことがそれを受けた子どものこころを、人生をどれだけ破壊するか、わたしは自分自身の人生として知っています。