ここ一年くらい、よく鏡を見ています。
しばらく闘病していたときは、身体の病気ではなかったのに身体にも常に苦痛があって、自分の身体というのは自分に痛みをもたらすものでした。
けれど調子がよくなり、身体の痛みを感じることがすくなくなると自分の身体との結びつきがどんどん希薄になっていっているような気がします。
そして、わたしは身長が小さいとかバストが大きいとか数値の上でもある種特徴的な体型をしていますが、自分がたったひとりでいるときに体型的特徴が問題にならないように、そんなに小さいとか大きいとかの意識がないのです。
また、自分自身を受けいれられずに苦しんでいたときには、自分の顔というのがひどく醜いもののように見えていました。
それが不思議なことに、この一年ぐらいそんなに醜いものでもないように見えるようになってきました。
だからか、鏡を見るたびに「これが自分なのか」とどこか実感を持てない、不思議な感覚になります。
ごく最近は、ときどき自分の外性器を鏡で見ています。
日本においては絵であっても修正を必要とするような扱いを受けていますが、自分自身の肉体を鏡で見るということの何がおかしいことがあるだろうか、といまは感じます。
医師監修の性教育サイトにも、下記のような自分で見ることを勧めるものがあったり。
それで、見てみてどんな気持ちかというと、すごく生き物っぽいなという気持ちになります。
動物を飼ったり、動物と直接関わる研究をしていたりしたので、動物の外性器を見る経験はしてきていて、そんなに変わらないものなのだなと思います。
ただ分娩をする可能性のある場所として考えると、すごく小さいなという印象です。
美しいものとは思えないけれど、柔らかく傷つきやすくかわいらしいものだなと感じました。
これが、わたしが女と分類される根拠となる部位なのかと思うと、自分の身体でありながらどこか分離しているようで不思議です。