昨晩、ネットを見ていてなんだかすごく悲しくなってしまって、自分も泣きながら「美しい人たち、泣くな」という気持ちになって憧れのかたのブログをリプログしました。

 

 

雅楽というと小中の音楽の授業以外には、神社さんでのご祈祷で触れるぐらいです。

 

といってもね、わたしがお願いできるご祈祷なので雅楽演奏は多分録音なのだろうな、巫女舞がつくこともある、それくらいのものです。

 

で、わたしこういった神社仏閣のご祈祷を、神聖な気持ちもありますが、

 

ライブパフォーマンス的に見聞きしています。

 

逆に、アイドルのコンサートを「原始祭祀のようだ……」と頭をトリップさせながら鑑賞することもあります。

 

清められた常ならぬ空間で、音や、場合によっては炎、光、煙で、非日常の世界を一時垣間見せることで、祈りというものに説得力を持たせたり、感情を癒やしているのではなかろうかと。

 

実際、枕草子にも声のいい僧侶がいいとかの記述があるそうなので、現代でいうコンサート的に楽しんでいた層というのはあるのではないかと思っています。

 

それで、だ。

 

 

こちらのクラウドファンディング、めちゃくちゃいい席で鑑賞できる権利なんで完売してないの??

 

神社仏閣の行事で見られるのは人混みのなかでだよ?立ってかもしれないよ?

 

一等席で座ってじっくり鑑賞できるんだよ!?……と不思議な気持ちになってしまいました。

 

そもそもこちらの雅亮会の舞楽が鑑賞できるのは、一般人には祭りのときぐらい。

 

X(Twitter)で、その舞楽を撮影した動画が流れてきたことがあって、日本の文化ってちゃんと継承されているんだあと嬉しくなったことがあります。

 

日本人、祭り好きですよね。

 

わたしの住んでるところは北海道の片田舎なんですが、中学生のときに同級生が、

 

「毎日はとても退屈でつまらなくて、でも祭りのときは楽しい。祭りがあるから生きていける」

 

って作文書いてた。

 

だいたい明治やそのちょっと前に入植してきて、人も凍るような冬のある土地で、

 

「それでも人が住むなら、神さん仏さんは必要だ!」

 

と神社仏閣を建てて、祭りをつくって続けてきたんだもん。

 

で、祭りの御神輿担ぐとかさ、場所によっては神事を担うとか、神職さんだけではなくて一般の、普段は畑耕してる農民だったりして、日々の生活があるなかで祭りのためにすこしずつ鍛錬を積んでいたりして。

 

それってすごくかっこよくない?

 

 

雅亮会も、伝習所というのがあるそうなんです。

 

一般のひとが雅楽に触れられるの。神社やお寺に生まれなくてもはじめられるの。

 

鍛錬を積めば、神社仏閣の祭祀の一部としてつとめられるかもしれない!?

 

ここにわたしは古い日本の土着文化みたいなものを感じます。

 

もちろんすっごく大変で、子どもの頃から家で雅楽に触れてたひとにはなかなか及ばないかもしれない。

 

でも普段は全然別の仕事をされてるかたが、祭りのために何年も何十年も鍛錬を積む。

 

そこに「そう生まれたひと」とは違う、祈りの姿があるように思います。

 

すみません、愛読しているブログのかたが推してるってだけなのに語ってしまい。

 

なんだけど、すっごくすごいことしてるのに、なぜ注目が集まっていない??と不思議というか、悲しくなっちゃって、書いてみました。