モンスターか、無垢の傑物か。

 

 

 

牧野富太郎氏の生涯を描いた長編小説です。

 

牧野富太郎先生というと、わたしのように生態学を学んだ身からするといまだに研究室の図鑑棚には先生の図鑑が並んでいる、大先生であります。

 

ことしの4月からの連続ドラマ小説『らんまん』のモデルにもなっていましたね。見てました。

 

あのドラマは間抜けつつもちょこちょこ見ていて、まさに天真爛漫な主人公の姿が印象的で研究に関わる描写も楽しく見られました。

 

しかしこの小説は、史実に基づくものだからなのでしょうがドラマで気持ちよく描かれていたエピソードの数々が、苦い!!

 

主人公はとにかく植物のこと、学問のことしか考えていない。

 

自分の興味のことしか考えていない。

 

それで周囲のひとが眉を顰めようが苦境に立とうが「誰のせいでもない」とあっけらかんとしている。

 

研究のためだけではなく、お坊ちゃん育ちでぱあっと金をつかってしまう性質もあり、素封家の実家の身代を潰し、借金を重ね妻子に苦労を重ねさせ、苦境にあって手助けをしてくれた資産家さえ約束した形の研究ができず険悪になってしまう。

 

妻子に愛がないわけではない。

 

でも大福餅を出されたら、目の前に我が子がいるのに全部ひとりで食べてしまう。

 

愛がないわけではない。その我が子が亡くなったら、妻にむかって「死なせおって」と平手を張ったりする。

 

この感じ、主人公を愛せないひと、愛したとしても理解できないひとには、モンスターのように感じるのではないかと思いました。

 

情はある。お前のためになるならと手を伸ばす。だけど思うようには行動しない。もっともっとと際限なく要求する。こちらの事情心情を訴えたところでまるで理解はしない。やがて関係を断つしかなくなる。

 

まるで関わってはいけないモンスター。

 

と書いて、わたし自身にも過去に関わったひとの顔がいくつか浮かびます。

 

自分自身が相手をモンスターのようだと思った場合もありますし、自分自身が相手にとってのモンスターだったのだろうなと思う場合もあります。

 

たまにスピリチュアル界隈の「自分を愛して」「やりたいことをしよう」的な決まり文句が、モンスターを生むのではないかと思うときがあります。

 

自分を満足させるために他者がつらい思いをしても関係ない、筋が通らなくても自分の要求を通し本来楽しく気持ちよくいられたはずのひとの気持ちを台無しにする、そうやって笑ってるモンスターのように。

 

そういう風に見える人間と関わって傷ついた経験もありますし、自分がそうならないか怖くもあります。

 

小説のなかで研究の職を解かれた主人公がひとをちりかみみたいに捨てるというようなことを言うシーンがありましたが、あなたがそれを周囲のあなたを愛するひとに散々やっていたではありませんか!という気持ちになる。

 

だけど主人公の妻(主人公は子どもをつくった段階になっても妻子と数えてもいなかったりしますが)は自身の最後まで主人公を愛し支えて、天皇陛下に「あなたは国の宝」とまで言われる。

 

こうなると、主人公を理解しなかったひとびとのほうが悪いのか!?みたいな気持ちになりますが、それぞれのひとの気持ちを想像すると「それは深く深く傷つくよねえ……!!」となる。

 

というわけで、冒頭の「モンスターか、無垢の傑物か。」につながります。

 

小説としては、時代背景から「この時代のこの立場のひとは、こうした考えをしただろうな」ということがくどくどしくなくもさらりと理解できるように描かれていたり、主人公の悪気ない、あっけらかんとした様子がわかりながらも周囲のひとたちの心情が想像をかきたてられるなど、ものすごい筆力であるなと感じました。

 

面白かったです!!