先日、印象的な夢をみました。
夢の世界のなかでは高名で壮大で誰もが知っているような戯曲の舞台に立つことになりました。
どうも主役級だけどストーリーのなかで翻弄されて、とことん愚かで哀れで惨めな女の役らしい。
(けっこうありますよね、女性が不幸に突き落とされたり亡くなったりするのを悲劇として消費するフィクション)
なんだけど舞台に立つわたしはストーリーもおぼろげで、台詞もわからず、一生懸命「こうかな?」「こうかな?」と演じている。
で、最終的に舞台の上で身投げするんですけど、最後まで「?」「?」となっている。
そしてそれを見ていた評論家らしきひとや、一緒に演じたひとに、「よかったよ!!」と激賞される。
……解せぬ。
いやフィクションだっていうならね、そういう悲劇も観客として楽しめるし制作側だったら演出してやろうとしますわな。
だけど夢の中で、わたしはなんで舞台に立っているかもわからない。
それで散々ひどい目にあって、終わったら褒められるってなんじゃいな??
腹立つわ!!
っていう。
でも思い出してみると、わたし他人の人生に対してこういうことしてるな~って思いました。
悲劇のなんとかとか、失意のままなんとかみたいな逸話の残る歴史上の人物や、ドキュメンタリーなどで大変な目にあってきたひとを見て、なにがしかの浪漫を感じて気持ちよくなってるみたいな。
リアルをフィクションとして消費するとでもいいますか。
もっとも実際にあった話を創作の底にするのは多く、傑作も多いので悪いばかりとも言えませんが。
自分が体験(夢だけど)すると、腹立つんだね。
けっこうなんかしらの役を演じるという夢をみること多いんですけど、今度似たような夢みたら「知るか!!」って言って降りようと思います。