よく行く雑貨屋さんで、ファブリックを扱うメーカーから出されているインドの古布キルト端切れが売っています。
これがなんだか面白くて何セットか購入。
接ぎ合わせてなにかにしようとして、挫折したのが昨年の夏。
またちくちく接ぎ合わせています。
インドでは布に霊力が宿るとされ、古くぼろぼろになった布も重ね継ぎ捨てないのだそうです。
そういった布なので、正直重ねあわせた布の表面がすり切れ下の布が見えていたり。
模様じゃないな、染みだな。という汚れがあったり。
正直、ボロ布なのです。
だけど重なった断面に見える色々な布の表情。
どれだけの手間がかかっているのだろうと気の遠くなるような細かい縫い目。
その味が魅力的で、接ぎ合わせていく手が止まりません。
けれどそれで何かを作って、もしかしたら汚らしいと思うひとが大半かもしれない、とも思います。
なんだけど手を動かすうちに、汚いとは何だろう。忌避すべきものだろうか。
貧しいとは、逃れるべきものだろうか。
苦しいとは、醜いとは、つらいとは、愚かだとは、惨めだとは、正しくないことだろうか。
おそれるべきことだろうか。
そんな価値観の逆転を感じます。
清浄であろうとする、豊かであろうとする、安楽であろうとする、美しくあろうとする……その対極は誰が担うのであろうか。
それを自分が担ったからといって、間違いだと呼べるだろうか。
不幸だと呼べるだろうか。
そんな深く、渾然一体としたエネルギーを感じ、あてもなくちくちくと手を動かしています。