細やかに見透す視線の鋭さと、柔さ。

 

 

山本文緒先生は、わたしが小学生とか中学生のときに「ブラック・ティー」という単行本を読んだ記憶があります。

 

そういう少女のころに憧れる大人の世界っていうのとはちょっと違って苦い読後感に次々読むとはならなくて、次に読んだのは就職後メンタルをやられて休職し実家で療養しているときに、山本文緒先生自身が鬱病になって闘病している最中に書かれた日記のようなエッセイ本でした。

 

最初のほうは鬱病であってもやはり出版関係の華やかな世界にいるひとの感じがありましたが、終わりのほうで都心から引っ越して静かな生活になっているような、時代の変遷を感じる本でした。

 

さて、「ばにらさま」。こちら六編の短編小説を集めた本なんですけれども、端々に普通の、なんの問題もありませんという顔をして生きているひとに滲む危うさを感じる描写が鋭くもあり、どこかに誰もがそうなんだよと完全ではない人間を許す柔さのようなものを感じました。

 

例えば、しっかりと働いている両親と子どもたち、みんな健康でなんの問題もなくすくすくと生きているかもしれない。

 

でも、その両親のどちらかが職場のちょっとした人間関係でつまずいて、あるいは病気になるかして働けなくなるかもしれない。健康だった子どもたちも不慮の事故にあうかもしれない、先生とあわないなどのちいさな理由で学校に行けなくなるかもしれない。それで健やかだった家庭は急につらく苦しいものになるかもしれない。

 

そこまで大きな、わかりやすい出来事じゃなくても、綺麗な格好をして外を歩いている女性も家のなかにどうしても片づかない虫のわいたクローゼットを持っているかもしれない。そういう危うさ。

 

だけどそれでも、みんな生きている。生き続けている。

 

表も裏も誰もが認めるオールオッケーになる日は来ないかもしれない、でも生きています。

 

あとですね~、やはりキャリアが長い先生だけに、上手い!んですよ。するするする~っと読めます。