こんばんは~![]()
絶賛、「だめなの」の虫が泣いております。
※「だめなの」の虫とは、↓のブログで書いた、「だめなの」「できないの」「こわいの」とわんわん泣くわたしのこころのことです。
この「だめなの」の虫が泣いて急に約束を反故にするなどのことが重なり、付き合いのなくなったひともいます。
「だめなの」の虫が泣いてやりたいと思っていたのにできなかったこと、行きたいと思っていたのに行けなかったこと、続けたいと思っていたのに続けられなかったことがあります。
街に流れる人影に、吹き抜ける風に、「だめなの」の泣き声が大きくなるから、ひとりで部屋にこもって「だめなの」が泣かないことだけを細々としてなんとかやりすごしたこともあります。
とはいっても「だめなの」の声だけを聞いているわけにはいかないんですよね。
「だめなの」をやりすごして挑戦したことで得たものがあります。「だめなの」の気配を感じながらやってみたことでとても楽しかったこともあります。
↑のブログで紹介した川上弘美さんの「夏休み」のなかで、「だめなの」と嘆く梨の精はそれが鬱陶しくなった主人公に叱りつけられて一時消えてしまいます。
わたしのこの「だめなの」はなんなのだろう?と自分に問いかけてみたら、言葉が浮かんできました。
「話を聞いてほしいの」
「こわいってことを聞いてほしいの」
そんなような言葉です。聞いてあげたらなくなるとか、そういう交換条件じゃなくてただ「聞いてほしい」。
もしかしたらわたしは自分の「本当は嫌だ」「それはしたくない」といった声を無理矢理に押さえつけて、聞かないふりをして、生きていこうとしていたんじゃないか。そうやって生きているんじゃないか。
だから、「だめなの」の虫がすぐに泣くんじゃないか。そんな風に思いました。
じゃあ、そのわたしのこころの声を聞きながら生きていくにはどうしたらいいんだろう?そんな方法があるんだろうか?
ときは、ええ~、そういうこと言ってる場合じゃないよ~!!って局面なのですが
自分に聞いてみたいと思います![]()
