きょうはわたしの計画性のないところ、後先考えないところが原因で家族に迷惑をかけてしまい怒られました。

 

わたしも悪いとは思っている。

 

どうにかしていきたいとも思っている。

 

ちゃんとどうにかできると思うときもあるし、どうにもできないのだと思うときもある。

 

なにしろそのときだけ守れたらいい!ではなくて、継続して意識を変えていかなければならないことであるからして。

 

と、ず~ん……と落ち込んで、地元の神社さんに行きました。

 

この神社さんのご本殿、わたしはお宮参りからここなんですが、なんとなく姿勢を正さなきゃいけない。きちんとしなきゃいけない気持ちになる。

 

ちょっと堅苦しい印象を持つところです。

 

でも仕事を辞めるの辞めないのと、やはり極限まで落ち込んで手をあわせたときに、心の中を風が吹いた感覚がしたんです。

 

すっと楽になって、わたしが抱えていたものを神様が手放させてくれたような。

 

そんなわけで、きょうも重い足取りでよっこらしょと行ってきました。

 

手を合わせて「わたしが悪かった、でもどうしていけばいいかわからない」と思っていると、ふっと心の中に「宝物」という言葉が浮かんできました。

 

どういう意味だろうと思っていると、神様なのかはわからない、でもわたしが手を合わせている相手がわたしのことを「宝物だ」と思っている感覚がしました。

 

だから頑張れとか、どうしていけとか、改めろとかの指図は一切なく、ただ「宝物」なんだとだけ。

 

で、わたしもどうしていったらいいかはわからないながらも、ず~ん……と落ち込んだ気持ちはだいぶんマシになって帰ってきました。

 

帰ってきたら家族は普通に接してくれました。まだちょっと怒ってるけど。

 

生まれたときから近所にある神社さんだけど、こういう柔らかさをキャッチできるようになったのはわからないながらもすめさんとこの布袋さん蛭子さん大黒さん弁天さんに「はい、ありがとうございます!」を繰り返してるからかなあ、と思いました。

 

すめさんの記事で「駄目な欲はスルーしてくれる」と読んだので、「こんな都合のいいこと起こるわけないよな」「ムシが良すぎる~!」と思うようなお願い事まで大きな声で言って、「はい、ありがとうございます!」しています(笑)

 

駄目だろうと、欲望だろうと、思っちゃうんだもんね。

 

なら「そういうのがあるんだなあ」って感じるだけでも感じていいよね。

 

少なくとも七福神さんはそういうのに怒る神様ではなさそうだし。

 

と、すっかり七福神さんを「王様の耳はロバの耳~!!」と叫ぶ壺扱いしているわたくしです。