きょう、ばんごはんのサバの味噌煮と、ズッキーニのごまあえ、冷奴をおいしく食べながら、ふっと、


わたしは世界を愛している。


と、思いました。


向いでごはんを食べている兄のまるまっちい手が、箸を操るのがひどく精妙に見えて、意思に従って動くさまが奇跡のように見えました。


世界というのは、とんでもなく残酷なことも起こり、ままならなくて、ときどき素晴らしく美しい。


そんな世界をわたしは愛しているのだと感じました。


世界がもし犬や猫だとしたら、躾けたはずなのにお布団でうんちしっこをしたり、疲れ果てた真夜中に突然具合が悪くなって動物病院に駆けこむはめになったり、たまになにかの間違いで噛まれたりして、それでもこの子がいて良かったありがとうと思う。そういうふうに世界を愛しているのです。


そう思うと、自分をとりまく世界が自分の思う通りであってほしいというのは、犬に躾もしてないのに散歩でひっぱって歩くなと怒ることであったり、猫に絶対病気になるなと命令することであったり、動物たちに突発的な出来事にも動揺せず平常心を保てと強いることであったりするのかもしれない。


世界は動物じゃない!となるかもしれませんが、現実的にこの世界を構成しているのは人間だけじゃなく無数の動物や植物、微生物、無機有機の物質です。


それらにはすべて固有の性質があります。


個々の特質を無視して、ひたすらにわたしの思い通りになれと動かすことはできません。


ままならないこともある、でもわたしはあなたを、世界を愛している。世界の美しさを知っている。


そんなふうに思うのです。